自分探しゲームの誕生

「自分探し」が良いか悪いかはどうでもいいんです。「自分探し」がクソゲー神ゲーかなんてぶっちゃけ興味ありません。おのおのが勝手に判断すればいいことです。でも、なぜこの「自分探し」が必要とされるのかについては興味があります。というわけでひとつ寓話を作ってみました。

経済ゲーム

この世界ではトランプの「大富豪」というゲームが流行っています。世界中の全人口が参加しています。このゲームは最初に配られたカードを順々にきっていき、ゴール(あがり)を目指すというものです。早くあがれた順に大富豪・富豪・平民・貧民・大貧民とランク付けされます。
さて、この大貧民というのは自分の持っているカードがしょぼすぎて最後まであがれなかった人たちです。しかも一度大貧民にされると、たとえ次にいいカードがきても大富豪に献上しなくてはいけません。搾取だ! 横暴だ! こんなのクソゲーだ! そう怒り狂った人たちはついに「大富豪」ゲームを放り投げてしまいます。

自分探しゲーム

さて「大富豪」ゲームに見切りをつけた人たちは、自分が主人公になれるゲームを探しはじめます。「大富豪」ゲームでは失敗したけど、ほかに探せば自分が一番になれるゲームだってあるんじゃないかと信じているのです。色んなゲームを試しました。ババ抜き、七並べ、セブンブリッジ、スピードなどなど。その中で勝者となった人もいましたが、一方で敗者も必ず出てきます。彼ら敗者中の敗者には、もう参加できるゲームがありません。
そこで彼らはこう考えます。「こんなのホントの自分じゃない。どこかにホントの自分がいるはずだ」。その信念のもと、彼らは自分でゲームを捏造することにします。彼らが創ったゲームをクソゲーだと批判する人*1 もいましたが、彼ら自身は実に楽しそうだったので、そのうち放置されるようになりました。一般にこのクソゲー宗教という名で呼ばれています。
また宗教というラベルに魅力がなくなると人々は新しいラベルを生み出しました。これが「自分探し」です。中身はほとんど一緒なのに、パッケージを変えただけでバカ売れするってことはよくありますが、それは信仰にも当てはまるようです。

経済ゲーム=下部構造

しかしここで思い出してほしいのは、「大富豪」ゲームに見切りをつけた人も依然としてこのゲームに参加しているということです。彼らは自分のゲームに熱中しているので、配られたカードに見向きもしません。出すべきときに出すべきカードをきらないので、いつまでたってもあがれません。カードの献上のときだってよそを向いたままなので、富豪たちにいいようにちょろまかされています。
ときには、この「大富豪」ゲームにまた参加しようとする猛者も現れます。しかしたいていの場合は、そのあまりの惨状にすぐ首を引っ込めてしまいます。そしてそのときの厭な思い出が、なおさら彼に自分のゲームに熱中させるのです。
このように「大富豪」ゲームは誰もが参加しているゲームなので下部構造と呼ばれました。そしてその上に築かれたいかなるゲームも、この下部構造の影響を受けると言われています。

自分探しゲーム=上部構造

「大富豪」ゲームが下部構造なら、他のゲームは上部構造です。「大富豪」ゲームに見切りをつけた人たちのゲームです。このゲームを良しとするかしないかで喧々諤々の議論が始まりました。

  • 「大富豪」ゲームから弾かれた人たちを救済するんだ。素晴らしい。それに他のゲームで経験をつみ、自信をつけた人がまた戻ってきていいプレイをするってこともある。
  • しかし「大富豪」ゲームを全く無視するのはいかがなものか。彼らは配られたカードに見向きもしないじゃないか。

どちらの言い分も、もっともです。しかしこの「大富豪」ゲームがひとつの巨大なVIPルーム内で行われていることに誰も気づきません。彼らの中の大貧民ですら、世界的に見れば上位10%の富豪であることはあまり知られていません。それもそのはずです。彼らもまたこの狭い部屋の中で自分たちが捏造したゲームに興じているのです。このゲームの出来は非常に素晴らしいので、そこで大貧民の烙印を押されたものは本気でそれを信じてしまいます。中には悲観のあまり自殺するものも出てくる始末です。たとえそれが外から見れば大富豪でも、その正論はもはや彼らの耳には届きません。
このように下部構造の上に打ち立てられた上部構造は、あまりにも深くハマる人が出てくるから危険だという意見もあります。しかしこの上部構造は、もはやなくてはならないものになっています。「大富豪」ゲームは必ず敗者を生むゲームなので、あぶれた人たちは他のゲームに賭けるしかないのです。
というわけで、自分探しゲームをクソゲーだと批判するのは野暮じゃないかと思うわけです。個人的にはもしこのゲームをプレイするとしても「大富豪」ゲームで一度上がってからにしたいですね。

*1:キリスト教を奴隷道徳だと批判したニーチェや、「宗教は民衆の阿片である」としたマルクスなど。