光圀伝 / 冲方丁

水戸黄門で知られる水戸光圀の話。徳川幕府が天下統一してしまったあとの、武士たちの存在意義が揺らいでいる時代。その中で光圀は史書編纂に取り組む。人が生きた証を歴史として残すことで、その人はたしかに生きていたのだと、誰かに伝えたいというらしい。光圀の場合、この史書編纂は単なる文化事業ではなく、儒教的な意味合いもあったようだ。儒教では、いなくなった人を、あたかもそこに今いるかのように扱うこと、というのが重要であるらしい。お墓参りも儒教的だ。すでに存在しない死者なのに、まるで生きている人のように訪問の対象になる。
このような、失われたものにたいする、愛着というか、執念というか、それが非常に強い人なのではないかと思った。多くの人をまきこみ、多くの人の死を見てきたら、普通は世の中そういうものかと割り切ってしまうが、光圀はそういった失われたものが風化していくのが嫌だったのではないか。ある意味、諸行無常に全力で抵抗しようとした男の話としても読めるのである。