小沢一郎「俺のパターナリズムを超えてゆけ」

NHKスペシャル『永田町・権力の攻防』見てからというもの、僕の脳内で小沢フェアが絶賛開催中なので、いろいろ小沢一郎について書く。あのNスペは、政治がどんだけダメだったかという視点から93年以降をとらえているが、そもそも戦後日本に政治の低迷などないだろう(極論)。ずっと、なあなあの、ぐだぐだ低空飛行だったからだ。変わったのは経済だ。高度経済成長〜バブルの90年代までは、政治家というのは楽な仕事だった。毎年増え続けるパイを利権というパッケージにして再分配するだけだから、これは政治家というよりロビイストに近い。しかし90年代以降になると、名目経済成長率(実質系税成長率+インフレ率)が低迷しはじめる。昔みたいに利害を調整するだけの金の余裕がなくなる。
だが利権の配分先ばかり考えていたロビイストには、経済成長のための環境を作るといった発想はない。だって今まで何もしなくても国庫に金が入ってきたのだ。「バブル崩壊だがグローバル化だかなんだか知らないが、とりあえず公共事業で需要を下支えすればそのうち景気は回復するだろう」なんて気楽に考えていたのだ。だから彼らは政策論争などしない。ロビイストは利権をとってきてなんぼなのだ。利権をとるためには与党に居なければならない。そして政権与党になった後に、選挙区や支持団体にたんまりと公共事業と補助金と規制による保護で恩返しする。加えて政府需要の増大で景気も回復する。何の問題も無いはずだった。
しかし彼らの予想に反して景気は一向に回復しない。実質経済成長率はある程度回復しても、デフレ(マイナスのインフレ)のため、名目経済成長率が低いままだ。95年から07年までの実質GDP成長16.9%(日本以外のG7平均34.0%)、名目GDP成長4.2%(日本以外70.6%)、一人当たりGDP成長(PPP、単位はドル)49.0%(日本以外59.8%)なので、95年(名目GDP 493兆円)から08年(名目GDP 508兆円)まで、名目GDPは高々15兆円しか増えていない。「失われた15年」とは、名目経済成長率の低迷なのだ。*1
さて、ではどのような経済政策が必要なのだろうか。問題が需要不足(売りたいのに買われない)ならば、政府による財政刺激や中央銀行による金融緩和(マネーサプライ増加、インレーション・ターゲット)が必要だろう。問題が供給不足(買いたいものが売っていない)ならば規制緩和による競争促進・イノベーションによる新市場の開拓などが必要だろう。さらに財政再建を優先すべきか景気回復を優先すべきかという問題もある。
だがこのような政策論争はNスペで一切出てこなかった。あったのはいかにしてサル山のボスになるかという権力闘争だけだった。そう。彼ら政治家はロビイストなのだ。細かい経済論争など霞ヶ関の頭でっかちに任せておけばよい。とにかく選挙に勝つための利権と、そのための政権奪取なのだ。
もちろん、こうした状況は腐敗以外の何ものでもない。そしてこうした腐敗を取り除こうとした政治家もいることにはいた。それが小沢一郎だ。小沢は当初経済オンチの自民党を経済的自由主義の新党でもってぶっ壊そうとしていた(と思う)。つまりイギリス保守党サッチャー政権みたいな、自由な理念がぬるま湯の福祉社会を打ち倒す改革劇を期待していた。実際に小沢は、93年の新生党の名前を保守党にしたかったらしい。
だが国民はぬるま湯になれきっていた。よくわからない自由主義よりも長年慣れ親しんだぬるま湯のほうがよかった。結局ぬるま湯の55年体制がドラスティックに経済的自由主義に転換することはなく、ぐだぐだな政治が続くことになった。小沢はいろいろとあきらめた。自由という政治理念商品は売れないことに気づいた。国民の生活が第一。もうこれでいいやとあきらめた。その無節操さが政治理念の全く異なる社会党を取り込むことに成功した。なんとか政権交代を狙える党ができた。これが民主党だ。
民主党は本来小沢がめざした経済的自由主義のかけらもない、パターナリズムのかたまりのような政党だ。農政にしても、小沢は「戸別所得保証+貿易自由化+減反廃止」というきわめてまともな主張をしていた。規制緩和による競争促進と改革の痛み止めのためのセーフティネットという、およそ抗えるもののいない最強の政策コンボである。しかし、民主党はあまりにもパターナリズムに寛容だった。そのため規制緩和という最も必要な点が骨抜きにされ、単なるバラマキになってしまった(それでも減反廃止する分、自民党よりはマシか)。
一体僕らの小沢はどこに行ってしまったんだ。このままパターナリズムに屈していいのか? だが小沢はこう言うのだ(超意訳)。

たとえパターナリズムでも、それはあなたたちが選んだ政権なのだ。自分以外の誰かがなんとかしてくれると思い、よく政策を調べもせず、こんな経済オンチの政権に投票したのは、あなたなのだ。もし本当にパターナリズムから脱却し、経済的自由主義を望むのなら、みんなの党にでも投票すればいい。政権交代をしやすい土台(小選挙区制)は作った。実際に政権交代もできることは証明した。あとはあなた次第なのだ。国民よ、俺のパターナリズムを超えてゆけ。

というわけで僕らはもっとパターナリズムの恐ろしさを知るべきなのだろう。まあ、消費税30%やハイパーインフレという地獄がやってくるまでは無理かもしれないが。(なお、財政が破綻する確率は94.58%らしい)。ただ不安なのが、僕たちがあまりにも経済オンチ過ぎて、パターナリズムの弊害をさらなる政府の介入によって乗り切ろうとしてしまう危険性があることだ。その場合は「隷従への道」まっしぐらだろう。