「人間が書けてる」という評論が嫌い

私は「人間が書けてる」という評論が嫌いです。え? 人間が書けてる? じゃあお前は「人間が読めてる」のかよとツッコミたくなってしまう。
数十億人いる人間のほんの何%かが一緒くたに集まっている国に暮らし、その文化圏の下位コミュニティーのさらに下位コミュニティーのごくごく一部しか知り得ない人間がしたり顔で「人間ってこういうもんだよね」と決め付けているのです。そんな節穴のごとき文化的ド近眼で一体人間の何を見通せるというのでしょう。笑わせてくれます。結局彼らの言う「人間が書けてる」は「(自分たちの知ってる)人間が書けてる」にほかなりません。カツオしか知らない人が大海の数億の魚の中からカツオっぽい魚だけを選び出して、これは美味い、これぞ魚ってやつだよ君、などと御託を並べてたら相当ウザいと思いますが、まあ似たようなもんですよ。
ってこれはもう考察でもなんでもないな。ただの自分語りではないか。まあいいか。