ドラえもんは実現可能か


ドラえもんみたいに、まるで人間のように考え、行動し、反応するロボットは原理的に作れるのか、という話。根本的に無理なのか、それとも努力次第では可能なのかを考察します。映画の予告編ばりにキャッチーに言うなら、ロボットに心はあるのか・ロボットは愛せるのかということです。山田正紀「火星のコッペリア」の作品解説でもありますが、解説というよりもネタを膨らませた考察なので、こっちに。ネタバレもそんなにないので、未読の方でも大丈夫です。

ゲーデル不完全性定理が、ロボットの知性を否定した?

まず、「デジタル・コンピュータが人間と同じような知性と自我を持つことは絶対にない」というペンローズの意見を紹介します。

ゲーデルの「第一不完全性定理」というのは「自然数論には(体系内には)証明も否定の証明も存在しない(体系内)の定理が存在する」というものなんだ。ペンローズにいわせれば、これこそがコンピュータが知性と自我を持つことができない根拠なのだという。コンピュータは自分の内部だけでは自分の中にある定理が正しいかどうか判断できない。ところが人間は直観と洞察力をもってしてその定理が真理であることを判断できる。ペンローズにいわせればデジタル・コンピュータと人間の決定的な違いはまさにその点にあるのだという。山田正紀「火星のコッペリア

ロボットは、人間ならこう反応するだろうという計算をどんなに素早く正確に行ったとしても、その計算自体が正しいか正しくないかを判断できない、というのです。
その根拠にゲーデルの「第一不完全性定理を引用しています。これは、その体系内では間違ってるかも正しいかも絶対に分からない一言が、《必ず》ある、という理論です。まあ、これだけじゃイマイチぴんときません。というわけでひとつ、このブログというシステムの中において、間違ってるかも正しいかも絶対に分からない一言ってヤツを言ってみます。

このブログは嘘をついています …… ☆

  1. ☆を正しい、とすると、このブログは嘘をついていることになります。とすると「嘘をついている」ということも嘘になるわけで、実は本当のことを言っているのかもしれません。
  2. ☆を間違っている、とすると、このブログは正しいことを言っていることになります。とすると「嘘をついている」ということも正しいわけで、やっぱり嘘をついていることになります。

つまりこのブログの文章は、☆によって自己言及されているために、☆を正しいとも間違っているとも断言できないのです。じゃあ、☆の正誤を確かめるためにはどうすればいいでしょう? 答えは簡単です。このブログ以外の意見を聞けばいいのです。ブログという体系内で分からないことも、外部の視点からならあっさりわかったりします。犯人の意見だけを聞いても事件の真相は分かりませんが、証拠や証人がいれば事件の真相が見えてきます。
円城塔にかぶれた人ならこうも言うでしょう。自己参照エンジンは、自己の間違いに気づくことができない。しかし自他参照エンジンなら、自分と他人の意見の食い違いを統合して、自己の間違いに気づくことができる、と。

ロボットと人間の違い

ロボットはそれがひとつの体系であるがゆえに、このブログと本質的に同じです。正しいか間違っているかは、その体系ではわかりません。
でも待てよ。このブログを書いているのは人間だろ? そりゃあどこぞの自動文章生成システムが書いているのかもしんないけど、まあ現実的に考えてやっぱ人間だろ? その人間が書いたブログとロボットが共通の問題に引っかかるなら、ロボットと人間だってそんなに違わないんじゃないか。
そう、まさにその通りです。ゲーデル不完全性定理はある程度複雑なシステムになら普遍的にあてはまります。これをロボットと人間の決定的な違いとすることはできません。もしも人間がロボットと違い、ある定理を真理だと直感的に判断できるなら、そのゆえんは人間の不思議パワーなどではなく、ひとつのシステムを外部から眺めるメタな構造を持っているからです。ロボットにもこのようなメタな構造(自分のいっていることが正しいのかどうかを外部の情報からチェックする、上位構造)をつければ、人間とタメを張れる知性を持つんじゃないでしょうか。メタだけに。
最後の一言が要らんかなあ、と思ったのですが、実際に書いてみるまでウケるかどうか判らない、というのがお笑いの難しいところです。ピン芸人は自己参照エンジンなのです。しかし相方をつけてコンビで売り出せばバカ受けするかというと、そんなことはありません。一見、相互参照する自他参照エンジンに見せかけて、実は似たようなセンスしか持っていず、お笑いのチェックができないかもしれません。つまり、自他参照エンジンの皮をかぶった自己参照エンジンかもしれないのです。一見メタな上位構造(チェック機能)を持っているとみせかけて、実は全然メタな構造を持っていない、というのは芸人にもロボットにも当てはまる深刻な問題です。―――と、SFネタとからめてフォローすることでギャグがスベったときの保険をかけているわけですが、保険として機能しているかどうかも、私には判りません。また、このように際限なく自己言及を続けていくことで記事の冗長性が増しているわけですが、その冗漫さが逆に笑えるかも、という打算もあります。そしてこの打算が実際に成功しているかどうかはやはり自己参照エンジンには判断できず…………*1

*1:いい加減打ち切りました。