Mr.インクレディブル

ぱっと見、お気楽そうなヒーローものっぽかったので、まったく観る気がわかなかったのですが、ピクサー映画の中でも好評らしいとのことでようやく観ました。作中では、ヒーローが迷惑な存在として迫害されてまして、自信の能力を隠して、死んだ魚の目で仕事をするサラリーマンとなっており、面白かったです。「ウォッチメン」ほどではないですが、ちょっとひねくれた設定のヒーローものですね。なので、表紙に騙されず、観てもらいたい一作です。
個人的には、普段の仕事のつまらなさの描写とそれを打ち破る冒険という点では「シュガー・ラッシュ」が好きですね。ヒーローものとしても「ベイマックス」のほうが好きかも。

私の恋人 / 上田岳弘

何を書いても地球規模、少なくとも文明の栄枯盛衰は書くし、なんだったら人類も軽く絶滅させる……という作風で一部の界隈で人気を博している上田岳弘が、これまたすっごいパーソナルでテーマで勝負してきたなあ、と思って読んだ。内容は、理想の恋人を妄想する男が、その理想を満たす女性に実際に出会うことなく死に、なぜか転生し、また死に、三度目の正直とばかりに今生の生でなんとか「私の恋人」に辿りつくという話だった。全然パーソナルじゃなかった。というか、人生を三度繰り返してやっと辿りつくって、恋人に求めるハードル高すぎるんじゃないですかねえ。まあ、この辺は一周回ってもはやギャグとして面白いのでよいです。
本題としては、その三回の生と対応する形で、人類の歴史も振り返っているところですね。人間は三度の大きな運動を経験するとのことです。一つ目は、全ての大陸に人間が伝播していった過程。二つ目は、その全ての大陸の人間同士がいかなる価値観によって統べられるか、というイデオロギーの闘い。ちなみに、これは自由主義・資本主義が勝ったことになっています。そして三つ目は、人工知能と人間の闘い。まあ、このあたりの話は小林「AIの衝撃」にも書きましたが、かなり面白い仮説を立てています。ただのハチャメチャな小説ではなく、ハッとさせられるところもありました。

人間を超えるAIは可能だとして、その時を見越して、人間は何ができるか――小林雅一「AIの衝撃」

人間と同じように物や概念を認識し、自律的に思考する人工知能が、もうすぐできるのではないか、という話。僕にとってこの話が衝撃だったのは、人間の脳の分子レベルのリバースエンジニアリングにまだ手つかずの状況なのに、それでも人工知能はすでに飛躍的に進化している、という点だった。この分野で著名な発明家(現グーグルの人工知能研究のトップ)レイ・カーツワイルは、こんなことを言っている。
まずバイオテクノロジーがある程度進歩して脳の構造がだいたいわかってきて、その次にナノテクノロジーで非侵襲的なナノボットで脳の活動を内側からリアルタイムでモニタリングし、脳の物理的なプロセスを完璧にシミュレーションする、そしてそれをハードウェア上で実現するのがAIということで、だいたいこの地点に技術レベルが到達するのが2045年
しかし、この2015年の段階でも脳科学で得られた知見と、高速化したコンピュータの恩恵によって、自動運転車が実現間近なくらいにはAIはものになっている、というのだ。素晴らしい。いいぞ、もっとやれ。本書は、最近の動きを簡単に把握するには便利な一冊だった。

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フェイスブックに浸食された村社会でお互いに「いいね」を送りあう気持ち悪さに耐えかねて自殺、とみせかけて社会を丸ごと殺しにかかる――ハーモニー(劇場版)

会話が多すぎてやばい、画面が動かなすぎてやばい、と評判を聞いて観る前は不安でいっぱいだったんですが、想定以上によかったです。絵は奇麗ですし、やはり原作の設定の良さがいきていますね。プライバシーが消失した近未来の管理社会が舞台で、誰もが自分の評判を気にして生きており、他人から「いいね」をもらうためにやさしく振舞おうと努力せざるをえない。フェイスブックを開かなくても拡張現実によって、リアルでその人を認識した瞬間に、その人の評判がわかるようになっており、もう本当にうっとうしいし、うんざりするような社会なのです。
そうした息苦しさから逃れるために、自分の身体は公共のためのリソースなんかじゃない、社会に飼いならされた豚をやめて自分の身体は自分のものだと宣言しよう、などと主張するテロリストがでてくるのも自然です。まあ、そのテロリストの真意は全く別のところにあるわけですが……。とにかく、中盤まではかなり引き込まれました。終盤のラスボスのスピーチも心にぐさっと刺さってきてよい。「屍者の帝国」を超える面白さです。
以下ネタバレ。

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フランケンシュタイン博士の怪物の婚活のせいで人類存亡の危機――屍者の帝国(劇場版)

観てきました。なかなか面白かったです。とにかく19世紀のロンドンの風景が素晴らしく、ターナーの絵画のような背景が動いているのを見るだけでも感動があります。話としては、ゾンビが工業製品と普及している19世紀が舞台で、産業革命が蒸気の力だけじゃなくてゾンビの労働力によっても達成されている世界です。そんな中、爆弾内蔵ゾンビの自爆テロが起きたり、人間に近い動きをするゾンビが出てきたり、ゾンビだけで構成される独立国家が現れたり、なんかいろいろきな臭いことが起きるんですが、そういう序盤のワクワク感を豪快に吹き飛ばしながら、後半にわりかし深淵なテーマに移行していきます。

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政治に巻き込まれる科学、それでも抵抗する科学者――上橋菜穂子「獣の奏者」

面白かった。一応ファンタジーのくくりにはなると思うんですが、ご都合主義的な魔法とかは出てこない。舞台は中世の技術レベルで、謎の巨大生物(闘蛇・王獣)を軍事利用している王国になります。主人公はこの動物の世話をする職業に就くのですが、その立ち位置は牧場の厩務員というよりも、むしろ原爆を開発した物理学者に近く、政治的な思惑にものすごく翻弄されます。正直、政治とかどうでもいいし、むしろ自分の気の赴くままに研究し、謎を解き明かしたいだけなのに、否応なく戦争や内戦の駆け引きの駒となってしまうあたり、大変よかった。
また、主人公の有能さが、魔法や血筋みたいな、天から降ってくるものではない、というのもポイントですね。事実をよく観察し、仮説を立て、それを検証する。うまくいかなかったから、うまくいくまで延々とこのサイクルをまわす。これはまさに科学の方法そのものなんですよ。そして、そのプロセスを経て、今までの常識を覆し、見事獣の生態を理解していくシーンとかは、獣のかわいい描写もあって、ぐっとくるものがあります。
あと、物語の後半は親子の物語としても面白かったですね。しかも、知識を発見し、それを次世代に残すという、科学の在り方が、親から子への継承というストーリーともよく符号しています。今やっている小さな仮説の検証のそのひとつひとつが、次の世代へとつながる知の大河の一滴であり、そしてその意味では自分もやはり大河の一部として、この重くて壮大な歴史に連なっているのだという感覚。
ホーガン「星を継ぐもの」みたいな、理解することそのものの楽しさと、科学の成果を戦争の道具にされる科学者の苦悩と、動物の癒し要素と、中世の権謀術数、それらすべてが調和している優れたサイエンス・フィクションでした。小川一水「天冥の標」シリーズが好きだったら楽しめると思います。