無政府状態から契約の束として政府が誕生する瞬間――高野秀行「謎の独立国家ソマリランド」

最高に面白い、の一言に尽きる。笑って読める「未開の地見聞録」でありながら、政治学の文献としても読める。なぜソマリアでは内戦が続いているのか、そしてソマリア北部・ソマリランド内では、なぜ内戦が終結して武装解除ができたのか、しかも国連やアメリカの介入を拒絶したのになぜ民主制に移行できたのか、などの重要なテーマについて、現地での取材を基にした日本で唯一の文献なのである。しかも、他国からの介入がなかったから民主制に移行できたのではないか、という興味深い視点も提供している(詳しくは後述)。
さて、本書によれば、基本的に、ソマリアでは民族同士の紛争はないのだという。あるのは、同じ民族の中の氏族同士の争いなのだ。それは、日本でもあった源氏VS平氏の争いみたいなものである。そして、民族VS民族の争いではないせいか、一方が一方を滅ぼしつくすまで戦う、ということにはならず、そのうち手打ちすることで、紛争はいったん解決する。そして、紛争の解決は、基本的に損害の賠償という形で行われる。
ソマリアの政治で面白いのは、この損害賠償の際の相場が、長年の慣習のなかで決まっているということだ。それは、男が一人殺されたら、加害者側の氏族は、被害者側の氏族にラクダ100頭を支払う、という感じで、非常にビジネスライクなのである。氏族の誇りを傷つけられたのだから、徹底的にやり返す、みたいに盛り上がらない。これがすごい。まるで経済学の例題みたいに、ありとあらゆる紛争はそれを補填する所得移転さえあれば解決する、を実際に行っているのである。
そして、重要なのは、この紛争解決は当事者同士の合意さえあればよく、とくに当事者の双方より上の存在(政府)がenforceする必要はない、ということである。日本のように、お上によるenforcementが紛争解決するやり方もあるが、それだけが唯一無二の方法ではなく、紛争解決時のルールをお互い共有していることでも、紛争は解決しうるのだ。
ソマリランドの紛争解決とその後の平和をもたらしたのは、紛争解決時のルールと、そのルールに正当性をもたせた氏族の長老の存在であった。一方、南部ソマリアではイタリア統治時代に長老の権限が弱められたことや、アメリカの軍事介入によって長老が巻き添えくらって大勢亡くなったこともあり、古き良き慣習法は失われてしまい、今も紛争が絶えない。このあたり、法の支配こそが何よりも大事で、大国がお仕着せで「民主主義的な暫定政府」を支援しても、結局民主制は根付かない、というふうに解釈することもできるだろう。
大国の軍事介入を拒否したソマリランドでは、内戦終結後、これ以上の争いを防ぐために、すべての氏族が納得できる落としどころとして、契約の束をつくる。誰が統治するのか、その統治者はどのようにして選ぶのか、統治者を選挙できる人は氏族ごとにどのようにして割り当てるのか、そういった契約の束を、だ(ちなみに西欧社会では、それを憲法と呼ぶ)。平和と民主制が、どこかよその国の押しつけでなく、ひたすら草の根ベースの契約の束として成立しうる。ハイエクが「法と立法と自由」で述べた自生的秩序は、西欧だけのローカルな現象ではなく、リアル北斗の拳のすぐそばでも成立しているのだった。