自民党政治の終わり / 野中尚人

民主党はよく劣化自民党と呼ばれる。これは自民党による政治は終ったけれど、自民党システムはいまだに終ってないということを示している。公務員制度改革を手に取って考えてみよう。この改革は、1:「年功序列制の廃止」、2:「各省庁による再就職(天下り)の斡旋禁止」、3:「内閣人事局を置き、内閣が官僚の人事に決定権をもつ」、といった内容だ。いずれも、省益ではなく国益に基づいたシステムへの変化であり、官僚以外の多くの国民にとって望ましいものだ。だが官僚の抵抗のため見通しは非常に暗い。立案者の高橋洋一が自民党時代よりもひどいと語るほどだ。
まったく、官僚の政治力には呆然とさせられる。自民党システムがたとえ終わることになったとしても、この官僚の権力基盤が崩れる日は来ないのではないか。この官治主義の体質こそが自民党システムの一番の特徴だと考える私にとって、形式的に自民党システムが終わろうが終わるまいがどうでもいいことだ。自民党システムの終わりは、必ずしも問題の根本的な変革を意味しない。その理由は2点ある。


1点目「リーダーシップを発揮する必要がないのは、自民党システムのおかげではなく、経済的理由のせい」

自民党システムの特徴は、「合意を重視する」民主主義的な姿勢と「カネと利権の再分配」によるインサイダー政治である。しかし、そもそもこれらの特徴は国全体が経済成長する過程でのみ成立するものだ。合意を重視するといえば聞こえはいいが、要は深刻なトレードオフ(一方を取るともう一方を捨てなくてはいけない状況)での選択を回避しているにすぎない。
全体のパイが拡大してきている局面では「もっと俺に分け前をよこせ」とごねる人も少ないので、合意は比較的達成しやすいのだ。たとえ「このパイの配分はおかしい」とインサイダー政治を批判する人が出てきても、カネと利権を回してあげて内部に取り組んでしまえばいい。パイはまだまだ大きくなる見込みだったので大判振る舞いができたのだ。こんな状況ではリーダーシップを発揮して困難な結論を下す必要はない。
しかしもはや経済成長の時代は終わった。「我が国の潜在GDP成長率は足下の1%台半ばから2020年代には1%弱に低下する可能性がうかがえる」*1  との試算もあるように、日本はすでに低成長の時代に突入している。パイの拡大どころか縮小すら覚悟しないといけない。そんな時代に気前よくパイの分配をする余裕はない。
もちろん「合意を重視する」といったぬるいことも言っていられない。限られたリソースの中で最善の結果を出すためには、大勢の既得権益の反対を押し切ってでも断固とした結論を下さないといけない。つまり、経済成長率の減少こそが、リーダーシップの必要性が増した大きな要因なのだ。野中の語るようにグローバル化インパクトなどという、わけのわからない理由のせいではない。自民党システムという括りで考え、それが終わるか終わらないかに拘泥するよりも、経済を見たほうが話は早い。システムの終わりがあるのではなく、システムを支えていた条件が崩れたのである。


2点目「官僚機構にべったりな体制はそのまま。インサイダー政治は変わらない」

自民党システムはインサイダー政治である。その最大のインサイダーは政治家ではない。政治家は選挙のたびに民意の洗礼を受けるからだ。政治家は、インサイダーを切り崩すアウトサイダーともなるのだ。むしろ政権の入れ替えが関係ない官僚こそ、最大のインサイダーである。元官僚の高橋洋一は次のように述べる。

永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけることになっていた。そして、事務次官会議ではねられた案件は、閣議にはかけられなかったのである。
高橋洋一「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」 244p 2008年

この慣行を史上初めて無視して、公務員制度改革閣議にかけた安倍総理は「総理はめちゃくちゃだ」「安倍さんは狂ったのか」などと反対派に批判された。結局、安倍政権の下では公務員制度改革は実現しなかった。
だが脱官僚をかかげた鳩山政権は一応、事務次官会議を廃止したので、このときばかりは僕も自民党システムの終わりを信じた。これはひょっとしたらいけるんじゃないかと期待していた。もちろん、その期待は徐々に迷走していく民主党政権を前にして消え去ったわけだが。そもそも公務員労組の応援を受けている民主党に、官僚に不都合な政策を押し通すインセンティヴはなかったのだろう。省益重視のインサイダー政治はまだまだ健在なのである。その意味で自民党システムはいまだ終わらない。


*1:内閣府「平成20年度 年次経済財政報告」全要素生産性TFP)、資本投入の伸び率及び就業率が変わらないと仮定し、人口減少の効果を盛り込んだ予測