国家の罠 / 佐藤優

ここにニッポン株式会社がある。会社の持ち主(株主)は《国民》であり、彼らの代表として株主総会で議決権を行使する《政治家》がいる。会社の従業員は《公務員》であり、《政治家》が株主総会で決めたことにそって会社を運営している。会社の目的は、「国益」というひどく抽象的なもので、その具体的な定義については合意がない。とりあえず、「他の株式会社と良好な関係を築くこと」「あわよくばその商売敵を出し抜いて自社が得をすること」などが「国益」にあたると、会社の一部門である外務省の従業員は考えているようである。
このニッポン株式会社、長いことお隣のロシア株式会社とうまくいっていない。そこでニッポン株式会社としてはなんとか自分たちに有利な形(日露平和条約の締結)で仲直りしたいと思っている。というわけで社内に対ロシア部門を設置してあれこれと駆け引きさせていた。ロシア課と、「ロシア情報収集・分析チーム」がこれにあたる。《公務員》のうち、社内の不正を取り締まる従業員を《検察》という。《検察》は国策捜査により、有力《政治家》である鈴木宗男と、鈴木と関係の深かった「チーム」のメンバーを逮捕した。逮捕された側は自分たちは「国益」のために仕事をしていたのに、それを無理やり作り話によって有罪にするのは不当だと主張する。
しかし「国益」のためなら何をしてもいいというわけではない。会社として守るべきルールというものがあり、いくら「国益」のためとはいえルールを破れば罰せられる。このルールは究極的には会社の持ち主である《国民》が決めるので、それがいくら従業員にとってはやってらんないものであっても守らなければならない。
だが従業員はこう反論する。「会社を実際に動かしているのはこっちだ。株主に何が分かる。事件は株主総会で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ。俺たちはちゃんと「国益」にそって働いてるんだから、週刊誌レベルの知識を振りかざすなこの愚民が! 佐藤優の場合はルールもちゃんと守ってたぞ! 無理やりすぎる!」。
株主も黙ってはいない。「たしかに外交は機密情報が多く、株主にオープンにできないような仕事なのだろう。だからといって従業員ごときに勝手にさせるわけにはいかない。プリンシパル依頼人)がエージェント(代理人)に仕事を頼むとき、プリンシパルがエージェントを監視できないとモラルハザードが発生してしまう。
とくにエージェントがプリンシパルよりも情報を持っている場合、エージェントは簡単にプリンシパルをちょろまかしてしまう。この情報の非対称性があるおかげで、投資銀行はハイリスクな金融商品をあたかもローリスクであるかのように資本家に売りつけることができた。その結果があの金融危機だ。
一部の政治や特殊情報の世界も一緒で、外から見たら正しいか間違っているかわからないので暴走されても気づかない。だからたまに吊るし上げて、暴走を抑止する必要があるんだ。佐藤優はああ言ってるが、本当はどうなのか分からないしな。大体、昔から《政治家》も《公務員》もエージェントのくせしてプリンシパルなめすぎなんだよ。国策虐殺とか国策民族浄化とかやった例もあるしね。国策捜査なんてかわいいもんだ」。
つまり、国策捜査は欠陥つきの自浄装置なのである。もちろんエージェントのモラルハザードを防げるのなら、こんな法の信頼性を毀損するようなことはすべきではないが、他に代替案がなければ仕方ないだろう。
余談であるが、もし僕が国策捜査で逮捕されたらどうするだろうか。おそらく「真実を歴史に対して証言すべきだ」「法廷では真実を追究しよう」といった意見を跳ね除け「それでも僕はやりました」と言うだろう。佐藤優のようにエージェントとして「国益」を目指すのもひとつの人生だとは思うが、僕はプリンシパルとして生きることを選ぶ。たとえ自社から難癖つけられても「あーはいはい悪かったよ」と謝ってさっさと自分の人生に集中するのが、賢い株主ではないか。ニッポン株式会社はあくまで、僕たちの人生の道具なのだ。僕やあなたの個別具体的な人生が幸せだということがエージェントがめざす本来の「国益」なのだから、「国益」目指して人生を棒に振るなんて倒錯的すぎる。