文明の接近―「イスラームvs西洋」の虚構 / エマニュエル・トッド

人工学の手法でかのハンティントン「文明の衝突」に喧嘩を売るという非常に面白い本です。
トッドが重視するのは「識字率の向上」と「出生調節の普及」です。この2つが社会を大きく変化させる変数であることを統計的に明らからしい。本当にその手法が有効なのかは素人目にはわかりませんが、文献を読み込んでアド・ホックな仮説をたてる人文学的なアプローチよりもマシな気はします。

文化的進歩は、住民は不安定化する。識字率が50%を超えた社会とはどんな社会か、具体的に思い描いてみる必要がある。それは、息子たちは読み書きができるが、父親はできない、そうした世界なのだ。全般化された教育は、やがて家庭内での権威関係を不安定化することになる。教育水準の上昇に続いて起こる出生調節の普及の方は、これはこれで、男女間の伝統的関係、夫の妻に対する関係を揺るがすことになる。この二つの権威失墜は、二つ組合わさるか否かにかかわらず、社会の全般的な当惑を引き起こし、大抵の場合、政治的権威の過渡的崩壊を引き起こす。そしてそれは多くの人間の死をもたらすことにもなり得るのである。別の言い方をするなら、識字化と出生調節の時代は、大抵の場合、革命の時代でもある、ということになる。この過程の典型的な例を、イングランド革命、フランス革命ロシア革命、中国革命は供給している。

トッドによれば、「文明の衝突」を煽るのは、識字化にともなう社会の不安定化という普遍的なプロセスを無視した議論になります。たしかに社会の不安的な時期に、表層に現れてくる宗教は違います。しかし、その政情不安は宗教が原因で起こるわけではなく、むしろ、家族構造の変化→伝統的な権威の失墜→政情不安→宗教を通した社会的靭帯の再構築、というプロセスがあります。だから、たとえ今は宗教的な原理主義が流行していても、いずれ先進国が経験したように「近代化」するでしょう。宗教の違いを槍玉に挙げて「あいつらとは分かりあえない」と悲観するのは視野狭窄です。

イランはかつてのアメリカ合衆国と同様に、宗教的母胎から生まれる民主制の誕生を経験することになるでしょう。イスラームの一派であるシーア主義は、反抗と論争という価値観を持っていますが、それがアメリカ民主主義の源泉となったプロテスタント教と同じ役回りを果たすことになるでしょう。


ただ本書の大半は各地域の家族構造のデータの羅列なので、主旨だけ知りたい人は序章から2章まで読めば十分です。