九十九十九 / 舞城王太郎

とりあえず読んでください。話はそれからです。
前知識なしで読んだ方が数倍面白いです。清涼院流水のJDCシリーズをオマージュした小説ですが、元ネタを知らなくても大丈夫です。普通こういう二次創作はつまらないんですが、二次創作であることすら利用した、驚異のエンタメとなっております。というか元ネタより文章上手いってどういうことだ。ネタバレ気にしない方だけ続きをどうぞ。



虚構内虚構内虚構……とマトリーショカのような階層をもつメタフィクション ただのマトリーショカと違うのは、読者は初めは最小のマトリーショカ、幾重もの殻に覆われた最奥の小世界からスタートするところです。そして少しずつ内側から殻を破り、今までの小世界がたんなる小説だったことに気づきます。しかし気づいたその世界も結局マトリーショカのひとつ、小説でしかないかもしれません。小説の世界を抜け出て現実へと帰ることは出来るのか? そしてこの複雑な入れ子構造はどうして創られたのか? 
ちゃんとオチもついたので、エンタメとしても楽しめました。それぞれの虚構の破天荒さも好きです。冒頭の数ページの、美しすぎる赤ちゃんを取り合ってのドタバタからして面白い。全てに気づいた主人公が選んだ結末も、話の設定を上手く汲んだもので満足しました。あと、あくまでも主人公以外はそれぞれの虚構を現実だと思って生きているというのが面白い。恋人が現実では到底おこりえない虚構性に直面してこう罵る箇所があります。

ちょっと、あんたホントに小説ん中に生きてんの?マジで言ってよ。ねえ、マジでやってよ。ここは税金払って保険に入って水道代とか電気代とか払わなきゃなんないし、三つ子とか産んだらお金が超かかっちゃうマジの世界なんだよ?それなのに子どもの父親が《九十九十九》とか名乗って《探偵神》とか言って《清涼院流水》みたいな訳判んない人から訳判んない小説届けられて訳判んない世界に引きこもられたら、困るんだよ!

たしかにそうだ、コレは現実なのだ、とハッとさせられます。まあ、当然この部分も小説だったんですが、お前あんだけ言っといて結局小説なのかよ、と笑えました。そしてどんだけリアルを強調しようが書かれていることは全てフィクションだということに改めて気づかされます。普段何気なく見ているテレビやネットの情報、そしてこの文章さえも、それが真実をありのままに語っているとは断言できないのです。(いや、この文章だけは本当のことを言っていますよ―――という自己言及もやはり胡散臭いです)。
たとえ捏造されたリアルだとしても、無批判に受け入れているうちは気づきません。(しかし、批判的になりさえすれば気づくという簡単なことでもありません)。はたして何が真相なのか? この書評はフィクションなのかノンフィクションなのか? ―――その目で確かめてみるのが真相への唯一の方法です。
メタフィクションつながりで筒井康隆「朝のガスパール」清涼院流水「ジョーカー」もオススメ。