ターナー、光に愛を求めて

最悪の2時間半だった。もともと、ターナーが一番好きな画家なので、満を持して観たんだけど、出てきたのは醜いおっさんが、ふごふごと何を言っているのかわからないことをわめきちらしながら、時には浮気したり、時にはできちゃった子供を認知しなかったり、また時には全力でファザコンぶりを発揮したり、終始しまりのない展開で、観客をどこまでも白けさせるのであった。たとえば、嵐の中を船のマストにくくりつけてもらって、荒れ狂う風と海と雪を目に焼き付けて描いたという「Snow Storm」のエピソードも、なぜターナーがそんなことをしたのかよくわからないまま、さらっと紹介されるだけなのだ。それぞれの傑作を生みだしたときのターナーの心境や、その作品が彼にとってどんな位置づけの作品だったのかとか、やっぱりそういうことを知りたいわけですよ。
まあ、天才がその作品の素晴らしさとは全く正反対のパーソナリティを持っているって話はわかるよ。私生活が壊滅的であってもいい。また「アマデウス」みたいに、その作品とパーソナリティの乖離こそが面白さの肝だという作品もあることにはある。だけど、これは、なんかなあ、その辺がうまくないんだよなあ。薄汚れた人間関係から逃避するように、美しい風景を訪ね歩き、そしてその美しさをそのまま描かずに、独特のフィルターによって抽出した、というふうに解釈することもできるかもしれないけど、それにしてはあまりにも展開の仕方が雑で、間延びしていて、眠くなること甚だしい。絶対にみてはいけない。