愛のむきだし

ちょっと鬱気味の神父が息子に「罪を感じろ」とか「偽善ぶるな」とか愚痴愚痴言ってたら、普通のいい子だった息子は「自分のどこにも罪を見いだせないこと」に苦悩し始める。もうしょうがないので、息子は積極的に罪を犯して父の前で「罪深き信徒」を演じようとする。そうして息子は、盗撮に走る。……え? 
なんか、よくわからんおっさんに導かれて、息子は盗撮のテクニックを学ぶ。街頭でスタイリッシュにパンチラを激写する息子は、とても爽やかだった。無駄に爽やかだった。そんな息子は一人の少女に恋をする。物語が動く。
ここまで読んで、なんだコメディか、とあなたは思っただろう。そう、物語の前半(といっても2時間近くある)は、演出のチープなギャグ映画にすぎないのだ。しかし、このギャグ設定が後半になって途端にシリアスな重荷として機能する。息子が冒してきた数々の大罪、それらは恋愛を成就させる上でテポドン級の障害となって立ちはだかる。盗撮魔が何を言ったところでまったく説得力が無い。一般ぴーぷるとの間の、越えようのなに深い絶壁。まさかこんなことになるとは思ってもみなかったと息子は後悔するが、いや、うん、同感だ。
たとえるなら、ウルトラマンVSバルタン星人だと思ってのん気に観ていたら、ウルトラマンスペシウム光線によって爆散したバルタン星人の肉片が近くの高層ビルをなぎ倒し、そのビルの瓦礫の下敷きになりかろうじて一命を取り留めたものの下半身不随になってしまった男の子の10年後の人生にフォーカスがあたる、ぐらいの展開だろう。重い。
ヨーコが息子を罵倒する修羅場の、あのなんとも言えない嫌な感じは、胸にせまるものがある。邦画ならではの、現実と陸続きにあるような、気まずさ。このシーンこそ、この映画の真骨頂だと思う。