この後ろめたさは、同時に道具の支配者としての立場からも、もたらされます。長谷敏司「BEATLESS」でもありましたけど、人間は人間というだけで道具に対して特権的な地位にあります。
「でもそれが道具だからという理由だけで、人間らしいものを粗末に扱ってはいけないんじゃないか? 人工知能にも人権を与えるべきではないか?」という、進歩的な意見も、まあ、出てくるわけです。でもそんなこといったって現実にはそんな優秀な人工知能は存在しないし、彼らの悲哀なんてどうでもいいわ、と反論されるわけです。
しかし、トイ・ストーリーは、もしもおもちゃが人間と等しい知性と感情を持った人工知能だったら、という設定を与えることで、再反論します。本当に道具たちの悲哀なんてどうでもいいのか、と。彼らのI want to get played with! という叫びに切実さを感じないのか、と。