至高の恋愛ファイナンス小説――グレッグ・イーガン「ひとりっ子」

たとえば、(1)確実に50円もらえる取引、(2)50%の確率で100円もらえるが50%の確率で何ももらえない取引を考えてみます。期待値はどちらも50円で同じですが、多くの人が(1)の取引を選ぶでしょう。僕たちは、不確実なものが嫌いなのです。このことを経済学では、人間はリスク回避的である、と表現します。
しかし、はたしてそうでしょうか。イーガンは思考実験として、脳内のニューロンの結線を固定し、感情を永久化する技術について考えます。この技術ならば、不確実で予測のつかない感情とそれに起因する人間関係も、永遠に固定化することができるはずです。
たとえば、愛する恋人同士が、その愛という感情を、決して朽ちないように永久にロックするということもできるはずです。これによってリスクは排除され、恋愛から得られる効用は固定化されます。あなたならこの「ロック」をしたいと思うでしょうか。
少なくとも、僕なら「ロック」したくありません。永遠の愛は、それ以上の効用をもたらす愛の可能性を永遠に捨て去ってしまうことでもあります。いまだ見ぬ地平があるというわくわく感を僕は人生に残しておきたいのです。
このように、イーガンはその短編「真心」において、恋愛においては、僕たちはリスク回避的でないと示しているのです。


極北の恋愛小説「ふたりの距離」

「真心」もすごい短編でしたが、さらに気にいっているのがこちら。冒頭部分を引用します。

ひとりきりで永遠を生きたいとは、だれも思わない。


この世界の設定では精神のアップロードが可能になって、たとえ肉体というハードウェアが朽ちても、精神を別のハードウェアに移し替えることで、永遠の生が可能になっています。当然、その膨大な人生を孤独に生きることは、誰も望みません。
そして本作で登場するカップルは、その孤独を癒すため、完全な恋愛をしようと試みます。まず、ふたりは、恋愛とは、ふたりの距離をなくし、より親密になることだと定義します。そして、ふたりの距離を減らす様々な試行錯誤に打って出ます。
まず、ふたりは、お互い性転換して付き合うようになります。男性は女性を経験することで、女性は男性を経験することで、お互いをよりよく理解できるようになるはずだ、という考えです。さらに、お互いの恋愛感情がヘテロの精神構造に依存したものかを確かめるために、ホモにもなったりします。つまり、お互いが男性になってアッー!なプレイをしたり、お互いが女性になってレズったりします。
性の違いというのも、ふたりの距離を隔てる障害とみなすことができるわけで、そうまでしてお互いの距離を縮めようとするふたりの情熱は、もうなんか、すごいですね。
そしてさらに、ふたりは、異なる二つの身体を使って恋愛することさえ、障害だと考えるようになります。つまり、二つの精神をミックスさせ、そして一つの身体を共有しようとするのです。
その瞬間、恋愛は完璧なものになるはずです。ふたりの距離は、ゼロに縮まり、恋愛におけるリスクは完全に排除されます。なにせ一心同体なのですから、心変わりや離別のリスクは、先ほどの「ロック」以上に保障されています。
そして、そのような究極の相互理解をしたはずのふたりなのですが、結局別れてしまいます。なぜか。最後の実験によって、ふたりの精神は融合しあってしまって、もとのふたりを取りだせなくなってしまったのです。結局、抽出できたのは、まったく同じ精神構造を持つ、ふたりでした。
しかし、なぜ、このふたりは別れなくてはいけなかったのでしょうか。このふたりの距離は、ゼロのはずなのに。答えは、冒頭にありました。


ひとりきりで永遠を生きたいとは、だれも思わない。

つまり、自分と同じ人間がもう一人いても、結局それはひとりきりで生きているのと変わらない、というわけなのです。恋愛におけるリスクが完全に消滅した世界は、恋愛そのものが消滅した世界でもあったわけです。こうして考えてみると、ふたりの距離があることこそ、そこに他者がいるということこそ、恋愛の条件であり、そのような意味で僕たちはリスクを愛しているのです。

本短編集では他にも、「ルミナス」という最強の数学SFも載っているので、ぜひご一読あれ。