All you need is survive――村上龍「五分後の世界」

僕が高校生のころ最も好きだった小説。
この小説に支えられてこの歳まで生きてきました。何度も再読して、もはや血肉と化しているがゆえに、この小説を乗り越えることが個人的な目標であったとさえ言えます。そのために、ここまで多くの本を読み、多くの書評を書いてきたのです。ついに、この本の書評を書くことができて感慨深い。
前置きはさておき、ストーリーを紹介しましょう。本作は、戦後のぬるま湯を批判して、それを破壊するような小説を書いてきた著者がついに出した、代替案です。登場するのは、第二次大戦で無条件降伏しなかった日本です。そのパラレルワールドでは、沖縄戦ソ連の参戦、広島・長崎への原爆投下の後も帝国軍は戦争をやめず、小倉・新潟・舞鶴にも原爆が落ち、本土はソ連・中国・アメリカに分割占領されています。日本国政府は地下のトンネルに潜伏して、ゲリラ活動をしています。
なんてひどい状況だって感じですが、そこには戦後のぬるま湯とは正反対の日本社会があります。他国の文化的奴隷となることなく、自己決定し、それに誇りを持つ国民がいるのです。これこそが村上龍ユートピアなのです。


僕は正直言って、この戦後のぬるま湯とやらに村上龍ほどの苛立ちは感じていません。縮小する国内市場や決断を先送りにする政治に、多少の閉塞感は感じますが、だからといって本土決戦までやって徹底的にリセットしなくてはいけないとは思いません。だから、村上龍ユートピアそれ自体にはとくに魅力を感じません。
しかしですね。そのユートピアの中で生きる日本人には強烈にあこがれました。彼らの持つ思想はすごく魅力的で、鳥肌がたつほど引き込まれました。それは、「死なないようにとそれだけを考える、つまり生きのびることだけを考える」という思想です。村上龍によれば、これこそがゲリラの本質であり、命を軽く扱った旧日本軍にはなかった考えです。そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、これは現実の日本社会においてはとてつもなく難しいことだと思います。
空気が支配する日本社会では、誰もが誰かの言いなりになっています。「一人で決断することができなくておっかねえもんだから、あたりを窺って言いなりになるチャンスを待っているだけ」の群れなのです。それゆえ、自分が「生きのびることだけを考える」というのは、自分の頭で行動し、集団の論理に反抗することも含みます。自殺にまで追い込まれる人が3万人を超える日本では、これは本当に難しいことなのです。
見栄とか周囲の目とか空気とか、そんな謎の圧力にさらされて、僕たちの社会はとてつもなく息苦しいです。が、そんな圧力なんて気にする必要はないはずです。ただ生きていれば、動物としては「勝ち」のはずです。生きのびること以上の価値を求めて、その価値観の奴隷になり、追い詰められて自殺を選ぶような人たちが多い中、この小説は本当に有用だと思います。

他の作品との関係

空気に抵抗してだらだらしたのが「限りなく透明に近いブルー」、空気を壊そうとして社会そのものも壊してしまったのが「コインロッカー・ベイビーズ」、空気だけ壊し社会を再建しようとして失敗したのが「愛と幻想のファシズム」だとしたら、「五分後の世界」は空気が壊れた理想社会を見せることで、一人一人に空気の奴隷になるなと呼びかけた小説でしょう。
そして僕も一人の個人として、このブログを読んでいる人に生きのびてほしいと思っています。たとえ冬二が「善人」は野たれ死ねとか言っても、「うっせーハゲ、アラスカ帰れ。お前の理想を人に押し付けるな」と突っぱねてほしいです。