ノーベル賞作家 マリオ・バルガス=リョサ氏講演会 「文学への情熱ともうひとつの現実の創造」の要約 part1

行ってきました。
バルガス=リョサさんってイケメンで、こう、風格があって素敵ですね。まあ、氏の著作は一冊も読んだことがなく、完全にミーハーの心情で聞いてきましたので、かなりざっくりとした要約になります。しかも断片的なメモから再構成しているので恣意的な脚色にまみれていますが、ご容赦を。


私にとっての文学とは何か

私が文学を書いているのは生活費を稼ぐためではない。むしろ、物を書くというのは、それそのものが生き方であり、そこに全てをそこに注ぎ込むべきものだったのだ。文学というものは、ひとつの現実であるからだ。
たしかに文学は通常の現実とは違い、言葉だけから構成されるものだ。だが、この素材が言語であることこそが、文学の強みともなっている。
すぐれた文学は将来へと残る不朽のメッセージとなるし、また実際に過去の偉大な文学は当時の経験を保存し、現在の我々に伝えてくれる。ここではある種の対話があると言える。対話―――それは、人間とは何かをめぐる対話である。
よい文学とは何であろうか。それは物理的な、政治的な暴力に対する防御となる(これについては後述)。また楽しみを与えるエンタメとしてだけでなく、人生にたしかな痕跡を残すものである。言葉の豊かさは文学によってのみ伝わるだろう。また文学は、明晰な物の見方、合理的な視座を与える。

分断と孤独

さて、もう少し踏み込んで文学の役割について語ろう。世界は今、分断されている。知識の多様化・専門化によって、コミュニケーションは制約され、人々は孤独になった。しかし、文学は、すべての人に読んでもらえる。そう、過去の、未来の、異なる地域に住む人々、すべての人に読んでもらうことができる。文学は人々を架橋する。
デモクラシーと自由についても語ろう。イギリスの元首相チャーチルは「デモクラシーは最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば。」と述べた。デモクラシーは、欠点はあるが、自由で独立した個人にとっては素晴らしい制度だ。そうした個人は社会活動に参加し、それを通じて批判的精神を養っていく。
とはいえ、デモクラシーと自由にとっても、文学は重要だ。文学は、現実の世界よりも、より完全で理想的な世界を映し出す。政府は文学に対して不信感を抱いているが、それは文学にこそ、人々の欲望が―――現実には満たされない願望が―――反映されているからだ。政府は常にその統治を肯定したがる。だが人々の欲望は、政府の管理する現実によっては必ずしも満たされないのだ。だからこそ、文学がある。