就活生から見た「好きなことを仕事に」教への違和感――村上龍「新 13歳からのハローワーク」

人間には「好きなことやって野垂れ死にする派」と「あほか! 堅実に安定した生活を送るのが一番だろ派」がいると思う。
「安定した生活が第一派」にしてみたら、とりあえず平均年収1000万以上の大企業に就職することが勝ち組ということになろう。この「安定した生活が第一派」にしてみれば「好きなことやって野垂れ死にする派」は、負け組になる確率が高く、分が悪いギャンブルにハマるバカにしか見えない。だが、たぶん「好きなことやる派」は、どうせいつかは死ぬんだし、それなら好きなことやった方がマシじゃね? という死生観を持っている。


つまり130億年以上続き、この後も永劫に続くであろうこの宇宙の中でぽっと出の数十年を生きるだけの人生など、もはや勝ち負けを論ずるまでもない、ささいなもんじゃないか、と。
いつかは死ぬという巨大な敗北を前にして見たら、もうなんか収入とかリア充とか学歴とかモテとか、どうでもいいんじゃないか、と。
つまり「好きなことやる派」は人類はすでに世界にたいして「負け組」だと思っているので、いまさら勝ち組・負け組を競い合う人生ゲームにたいしては真面目に取り組めないのである。もはや、ひとつの存在として敗北(消滅)することは決しているのだから、あとのすべてはおまけ要素であり、ミニゲームにすぎない。ならば、なるべく楽しくミニゲームをすればいい、というわけだ。


逆に「安定した生活が第一派」には、死はゲーム終了の区切りでしかない。それまでの人生をどう生きたかが重要であり、そこで勝ち負けが決まる。
「好きなことやる派」か「安定した生活が第一派」の違いは死生観の違いなので、どっちが正しいとかではない。が、自分の本性に沿った仕事観をもたないと不幸になる気がする。「好きなことやって野垂れ死にする派」なのに、自分は「安定した生活が第一派」だと思って仕事をしようとすると、義務感だけで作業をしているような気分になり不幸になる。


どちらのタイプになるかは、死にどれだけ敏感かで決まる。もう死ぬのが怖くて怖くてどうしよもなくて無気力感を常日頃おぼえるくらいになると、「好きなことやって野垂れ死にする派」だろう。逆に「自分だけは死なない」なんて心のどこかで思っているような人は、おそらく日々の日常がとっても大事なものであり、「安定した生活が第一派」なのだろう。
「好きなことやって野垂れ死にする派」で自暴自棄にならず、例外的に「勝ち組」になろうとしているのは、発明家のレイ・カーツワイルくらいだ。不死めざしてるし。  


「好きなことを仕事にしなくてはいけない」というプレッシャー

さて、前置きが長くなったが、ここから本書のレビューである。村上龍は「好きなことやる派」の人間なので、本書でも「好きなことを仕事にすればいい。だって嫌いなことだったら長続きしないじゃん」とあっさりと言ってのける。そして数々の職業を魅力的に紹介してみせる。
だが就活をひかえた学生にとって、本書はあまり役に立たない。そもそも「好きなことやる派」というのは、「いつか自分は死ぬ」という絶望を噛みしめた、悲壮な覚悟を持つ人間にしか採れないスタンスなのだ。ほとんどの人にそんな重苦しい立場を選び取る理由はない。彼ら/彼女らは、ただ「もうちょっとモテたい」とか「もっと周りから認められたい」といった承認欲求を満たしたいだけなのだ。 周りから感謝されて「自分が必要とされている人間であること」を確認できる仕事なら、それで本当は十分なのだ。つまり「安定した生活が第一派」なのである。*1


だから「好きなことを仕事に」というのは、就活生にとってプレッシャーだ。別に「好きなことを仕事に」しなくても生きていけるにも関わらず、あえて「好きなことを仕事に」しなくてはいけないからだ。そもそも新卒サラリーマンは「会社の都合に従ってなんでもやること」を求められるのに、「好きなことを仕事に」も満たそうとすると、職業選択のハードルが跳ね上がってしまう。
たとえば本書の職業紹介では、神父はあるが人事担当者はないし、競馬調教師はあるが経理担当者はない。 「好きなこと」を軸にすると、どうしても「社会や組織にとって必要だけど、好きの対象になりづらい仕事」がこぼれて落ちてしまう。だいたい仕事なんてのはやってみるまで楽しさはわからないものなので、今それが好きかどうかでスクリーニングをかけてしまうのは、あまりにもったいない。


だから僕としては「他者から感謝される仕事か」・「給料がいいか」・「つぶしが利くようなスキルを得られるか」という基準で職業を選ぶのがいいと思う。もちろん、本当はレイ・カーツワイルに追随する夢のある道を選びたいところなのだけど、医療用ナノマシンとかまだ産業化してないのでね。それに生身の人間としてはとりあえず飯を食っていかなくてはならないので、内定もらえればどこでもいいっすよ、というのが身も蓋も無い現実である。


*1:たとえば、本書の序文では読者である子どもに対して、「どうにかして、死なないで、生きのびていく必要がある」と声をかけているが、これではまるで戦地に動員される兵士への激励である。生にたいしてこれだけの決意と執念を持った若者がはたしてどれだけいるだろうか。少なくとも僕は、なんとなく飯が食えればそれでいいや、といった漫然とした人生観しか持っていない。まあ「5分後の世界」は感動したけど。