リバタリアニズムと同性婚に向けての試論―私事化の戦略― / 橋本祐子

アメリカ合衆国連邦最高裁判所は同性愛者の性行為を禁ずるソドミー法を、憲法修正第14条違反として無効とした。これを機に同性婚の是非についても論争がなされたが、リバタリアンであるポズナーの意見は、同性愛者の性行為は合法であるが、同性婚は認められないという現実主義的なものであった。
まずソドミー法の立法目的は「同性愛行為の減少によるエイズ蔓延防止」だとされている。しかし、それならエイズを伝染させる種類の同性愛行為のみ禁止すればいい。つまり、口腔性交も肛門性交も禁ずるのではなく、エイズ伝染の可能性が高い肛門性交だけを禁止して、口腔性交を奨励すればいいのだ。しかし同性愛者の肛門性交だけを取り締まる法というものは、異性愛者の膣性交を禁ずるのと同じくらい執行コストが高い。ならば、異性愛者の膣性交がエイズ感染の危険があるにも関わらず合法とされている以上、ソドミー法自体を廃止すべきだろう。
しかしポズナーは同性婚は認めず、法律婚よりも劣った法的保護を与えるパートナー制度(ドメスティック・パートナー制)を提案する。
これはこれで立派な前進であるし、実際にこの制度で満足する同性愛者のカップルもいるだろう。しかし、国家や社会が強制的に私事的な契約に介入するという点で、リバタリアンはまだ納得しないだろう。
たしかに、結婚というものをカップルに法的・経済的な保護を与える制度だとすれば、ドメスティック・パートナー制も法律婚もたいした違いはない。しかし結婚には感情的なメリットもある。たとえば黒人と白人のカップルはドメスティック・パートナーにはなれるが、結婚は許されないとしたら、きっとそのカップルは侮辱されたと感じるはずだ。同じことが同性婚を望むカップルにも当てはまる。
というわけで仲正昌樹編著「法の他者」収録の論文が面白かったので紹介しました。ほかかにはフーコーチョムスキーの対談をもとにした「正義と権力―反転可能性をめぐって」が面白かった。