口コミ伝染病 / 神田昌典

昔バイト先のITベンチャーの社長から紹介された本。その人自身、ものすごく仕事ができる人なのでこの本も期待して読みました。いや、想像以上に面白い本です。単なるマーケティング上のテクニックにとどまらない、ビジネスの基本的な部分を押さえています。それは、「理屈じゃ人は動かない。感情によって人は動く。理屈はその行動を正当化されるときに使われるだけ」ということです。言ってみれば当たり前のことなんですが、それをどう具体的に応用するかというところが素晴らしく、目から鱗が落ちる思いです。この技術は仕事だけじゃなくて人間関係のあるところはどこにでも使えますね。
特にこれはすごいと思ったテクニックは、「仮想敵を作る」というものです。叩きやすい明確な悪がいると、人は頼まれもしないのに勝手に十字軍を組織します。たとえば毎日新聞の英語サイトが問題となったときの大衆の行動力には凄まじいものがありました。この行動力が発揮されるのは何も社会問題だけではありません。消費についても一緒です。
たとえば「○○からお友達を救ってあげよう!」というキャッチフレーズはその典型例です。敵を設定することで人は奮い立ちます。なんとなく、正義のために行動しなきゃいけないような使命感に駆られるのです。その使命感が、購買意欲につながります。正義への情熱が、実際に商品を買ってなにかをしようというモチベーションを生むのです。「なんとかしなくちゃいけない」というピュアな気持ちは「これを買えばなんとかなるかもしれない」という気持ちに変わり、結果として人は動くのです。
このテクニックは広告宣伝だけでなく、ブログのアクセス数をかせぐときにも使えます。ある問題点をピックアップし、さもそれが深刻であるかのようにアピールしたうえで、それが悪であると認定する。そうすることで、読者とブログの間に「同じ敵に立ち向かっている」という連帯感が生まれ、その共感が読者の感情を揺さぶるのです。
人の感情をもてあそんでいる? 違います。たとえそれがどんな思惑のもとで捏造された感動であれ、ひとたび生まれた感動にはたしかな価値が宿ります。それが客観的には価値の捏造でも、主観的には価値の創造なのです。自分にとってはでっち上げでも、相手にとっては真実なのです。相手の気持ちをより考えるのなら、その感動にケチをつけるなんておこがましくてできません。この世に主観以外が決める価値なんてないんですから。
余談。もちろん、質の悪い製品を売りつける悪徳企業も中にはいます。しかし、お守りが客観的に見てどんなに不要でも、それを必要とする人はいますし、その価値というのは他人がとやかく言える問題ではありません。私の祖母も何千円もするインチキ臭いお守りを後生大事にしていますが、それが単なる紙切れだよとほざくことは私にはできません。たとえその価値を保障しているのが信仰でも、主観的にはその価値は絶対です。