批評の終着点はどこか

批評なんてそろそろ終わらそう。というわけで「小説のレビューがつまらない本当の理由」の続きです。まず作品をレゴ・ブロックに例えます。すると批評の形式はこうなります。

  • 審美的な評価:レゴ・ブロックのある様式(赤がいいとか、緑のほうが今風だとか、いやいや時代はやっぱ青だろとか)について、いかにそれがブームであるかを語る。
  • 「自分語り」:レゴ・ブロックのある様式(原色のブロックがいいとか、いや透明のブロックのほうがカッコいいとか、小道具ばっか使うのは邪道だとか、人形の頭をトーテムポールのように積み上げるのは誰でもやるよな? とか)について、いかにそれがマイブームであるかを語る。
  • 考察:レゴ・ブロックの構造(中世の城を模しているとか、スターウォーズがリアルに再現されているとか)について語る。その構造自体が美しいかどうかまで語ると、1.審美的評価となる。
  • トークの面白さ:レゴ・ブロックの批評それ自体が面白いかどうか。


「レゴ・ブロック」に比べて「レゴ・ブロックの批評」は上位(メタ)な位置にあります。ここで留意すべきは、トークの面白さという概念はそのメタな「レゴ・ブロックの批評」そのものを批評するという点です。つまり階層としては

  1. レゴ・ブロック
  2. レゴ・ブロックの批評
  3. レゴ・ブロックの批評が面白いかどうか


こうです。しかも厄介なことに「レゴ・ブロックの批評が面白いかどうか」が最上位の階層というわけではありません。「レゴ・ブロックの批評」の価値を測る上で「面白いかどうか・エンタメしてるかどうか」という基準を採用していますが、その基準が妥当かどうかという問題もあるのです。「批評のよさを面白いかどうかで決めるなんてどうかしてる。やはり美しい批評こそ真の批評だ」という文学的な意見もあるでしょう。(当然ながら、なにをもって美しいとするのかもまた議論すべきなのですが)。それを踏まえますと、文芸批評の階層はこうなります。

  1. レゴ・ブロック
  2. レゴ・ブロックの批評
  3. レゴ・ブロックの批評が面白いかどうか
  4. 「レゴ・ブロックの批評が面白いかどうか」という価値基準は妥当か ←New!


さて、もうお気づきのことと思いますが、メタ×3の上位階層「「レゴ・ブロックの批評が面白いかどうか」という価値基準は妥当か」ですら最上位の階層ではありません。このテーマを「妥当である」「妥当でない」どちらに採決してもなぜそう言えるのかという問題が出てきます。つまり、ある価値基準を妥当か否かを判断する価値基準というものが必要になってくるのです。もちろん、ある価値基準を妥当か否かを判断する価値基準そのものが妥当か否かを判断する価値基準というものもあります。このように延々とメタな構造が積み上げられていく不毛なゲームが文芸批評なのです。
まるでハノイの塔のように積み重なったこのメタ構造を処理するのは、とてつもなく煩雑な作業なので、おそらく人類が存続するかぎり解決されることはないでしょう。しかも残念なことに文学者と呼ばれる人たちはせっせとこのメタ構造を上乗せしていくことが仕事なので、時間が経つに比例してメタ構造の煩雑さは増大します。なお悪いことに「原点回帰」とか「再評価」といった懐古主義のおかげで、このメタ構造は一部ループすら作っています。
また、ある価値基準(階層A) が別の価値基準(階層a)を擁護しているというような、わかりやすい1対1の関係はほとんどありません。その大部分が、ある階層 Aが別の階層a〜zを擁護してる一方で、その階層aも階層A〜Zによって支えられているというような多対多の関係なのです。 たとえば、キリスト教は、ユダヤ教や各地の原始宗教をごちゃまぜにした宗教ですが、この宗教は世界中の数多くの文化・科学・思想に影響を与えています。そして神学という学問があるように、自身が影響を与えた科学が、逆に教義に影響を与えるということもあります。価値基準のリンクは錯綜しています。
というわけで現在このメタ構造の幾何学的複雑さは、常人が発狂しそうなレベルに達しており、その煩雑さはとどまることを知りません。ハノイの塔は有限時間によって処理できる問題ですが、はたしてこの文学論争に終わりはあるんでしょうか。一体誰がこのエンドレス・メタ構造に終止符を打てるんでしょうか。
文学者? いや、無理でしょう。文学者は自分が今いる階層こそが最上のレベルであると勝手に悟り(勘違いして)、その真理(信仰)を声高に叫ぶだけです。そのうち、より上位の階層がその批評を嘘っぱちの妄想だと断罪するでしょう(後世には自分も同じように批判されるとは知らずに)。
個人的には「ルールのルールの階層というのが興味の対象」と言う円城塔や、文学や芸術などあらゆる価値の起源を科学で追求するグレッグ・イーガンは有望だと思います。文学を終わらすなんてことは期待していませんが、彼らの視点の新鮮さは貴重です。