カラマーゾフの兄弟 1 / ドストエフスキー

文学の代名詞ともいえる古典中の古典、ドストエフスキーに挑戦してみました。まあ、アレですよ。なかば冷やかし半分で読んでます。なんか文学の話になるとやたらに古典を勧めてくる人がいますが、古典古典うるせーよ! っていう気持ちになりませんか? でも読んでもいないのにそんな幼稚な反発を繰り出すのも恥ずかしいので「あー古典ね。うん。なんか知らんけどいいらしいね」っていうふうに流し受けするわけです。でもそれだけじゃいかにも口惜しい。感動するためというよりはむしろ幻滅するためという不純な動機ですが、実際に読んでみることにしました。
今回は1巻ごとに実況形式で感想を書いていきます。ぶっちゃけこの書評に求められているのは「今どきの若いヤツが読んでも面白いのか」という一点につきます。というわけでリアルタイムで追ってったほうがその辺の空気が伝わるんじゃないかと思いました。まとまりの内容になりますが、たまにはこういうのもいいんじゃないかと。一応ネタバレもしますが、この巻まるごと導入部みたいなもんなので気軽に読んでください。
さて、前置きが長くなりましたが、はっきり言って面白いです(おい)。たしかに古臭い口調なんかは読みづらいんですが、ストーリーがよかった。登場人物はどいつもこいつも下衆ばっかです。しかもそんな下衆の饒舌な自分語りが7割近くを占めています。しかもお互いに批判までしあうのです。これは面白いですよ。なかでもこの一言は心にグサリときました。

《思想の解きがたい深み》にはまったほら吹き中学生とでもしておこう。要するにはったり屋さ

うわあ。これ心当たりがありすぎる。まさか100年以上前の人間にツッコミを入れられるとは。恐るべしロシア文学。というか全体的にツッコミの切れがいいんですよ。夢や希望を語る人もいるんですが、そういう人もすぐに偽善うぜーよという批判の餌食になります。「なに夢見てんの? バカじゃねーの? いや、おれだってどうしようもないクズだけど、お前らだってどうせ心の中は汚い打算でいっぱいなんだろ。いくら隠したってその悪臭はバレバレなんだよ!」という気持ちは誰だって多かれ少なかれ持っていると思いますが、カラマーゾフ家の人々は実際にそれを口にしちゃうんです。たいしたヤツだ。
しかしカスばっかのカラマーゾフ家の中で唯一純朴なのが主人公のアリョーシャです。この青年は今のところ善玉ですが、こいつが続編で堕落するのかしないのかが気になります。
あと独白以外にもエピソードのひとつひとつがいい出来です。リザヴェータ・スメルジャーシチャヤというスゴイ名前の女が出てくるんですが、ほとんど本筋とは関係のないこの逸話も読ませます。