人間原理って新手の妖怪なんじゃないか

そもそも妖怪とはなんでしょうか? そんなものが実際にいるわけが無い、妄想やファンタジーにすぎない、と大半の方が考えているでしょう。その通りです。妖怪とはその定義上「存在しないもの」なのです。しかし多くの民俗資料ではその妖怪があたかもいるかのように言及されており、絵までついているものもあります。これはなぜでしょうか? 妖怪とは客観的な事実としては存在しません。しかし個人の主観の中には確かに存在するのです。

私たちは理不尽さに耐えられない

例えば、子どもが突然消えた、という事件が起こったとしましょう。そんなことは常識的に考えて起こりえませんから、何らかの事故に遭った、誘拐された、という可能性をまず考えます。そしてその線に沿って必死に捜索するでしょう。それで無事見つかればいいのですが、それでも発見できなかったらどうでしょうか。事件当初はまだいいですがそのうち時間も人も割けなくなっていきます。なぜ、どうして、こんな目にあわなければいけないのかと悲嘆にくれ、こう言う人も出てくるでしょう。「神様、私が何か悪い事しましたか?」と。これは理解不能の謎現象の原因を、不条理で理不尽な存在に転嫁した、ということです。人は「わからない」状態のまま生きるのを嫌がります。その居心地の悪さを解消するために、「わかる」説明を求めてしまうのです。たとえそれが嘘っぱちの妄想でも。
こうして理解不能の謎現象が起こると、人々は非合理な存在をその説明にあてがいます。その第一候補は神様でしょうが、「天狗じゃ!天狗の仕業じゃ!」というのもアリです。つまり妖怪とは、理解不能の謎現象の説明であり、人に取り憑いた妄念なのです。

妖怪は今でも健在

馬鹿らしい、と思った方もいるでしょうが、天国や地獄という概念もまた妖怪の一種です。死とは、突然考えることも見ることも感じることもこのブログを読むことも一切永久に出来なくなってしまうという、生物にとって理不尽極まりない現象です。そして死んだらどうなるかなんて誰にも分からないくせに、多くの宗教、そして常識においてさえ「死んだらあの世へ行く」「生まれ変わる」「幽霊になる」などの妄想が受け入れられているのです。死という理解不能の謎現象に求めた説明こそ、天国であり地獄です。

主観の絶対性から妖怪は生まれる

さてここでいう理解不能の謎現象とは、あくまでもある個人にとっての理解不能であって、客観的・科学的に理解不能ということではありません。つまり情報認識が甘い人が語り口になっている場合、第三者から見れば自明なことでも謎が生まれるのです。「群盲 象を評す」という例え話があります。大勢の盲人が象を触って口々に「細くて長い」「丸太のように太い」「石のように固く尖っている」と言い合います。「それは象だ」という説明が最も合理的な解釈ですが、盲人にとっては自分たちの感覚こそが真実なのです。たとえそのリアルが説明のつかない謎を生み出したとしても。現実の事件も同じです。それらの謎はその個人にとってはどこまでもリアルですし、同時に現実離れした幻想でもあるのです。その幻想こそ、妖怪です。

ハードSFの一部は妖怪

というようなことを京極夏彦の小説を読みながら考えていたのですが、あれ? この妖怪って他のジャンルでもいそうだな、と思いつきました。妖怪の成立条件は 1.理解不能の謎現象、2.主観的な語り手 の2点です。そしてこの2つを満たしまくっているのがハードSFというジャンルなのです。
例えば私が好きな小説にグレッグ・イーガン「順列都市」というのがありますが、これなんか「時間とはなにか」「意識とはなにか」「死とはなにか」といった決して理解することができないような問題を徹底的に主観というレンズで透かしてみたら、途方もない想像力の飛躍を観測できた、みたいな感じです。この作中における理解不能の謎現象に対する説明(塵理論)は、非常にロジカルで反駁するのが難しいんですが、それでもやっぱりよくできた「お話」に過ぎません。実は妖怪チリリロンがいて究極的にはあいつが全部決めてるんだよな、みたいな与太話と「お話」としては一緒ですし、むしろ子どもにとっては世界の中心で妖怪チリリロンがうんたらかんたらといった「お話」のほうが難解すぎる塵理論よりも説明としての機能は上かもしれません。*1

人間原理も妖怪かもしれない

ようやく本題です。グレッグ・イーガンの小説を挙げて気づいたのですが、これって人間原理がネタの核心部にあるんですよね。人間原理の話も科学者によって大真面目に議論されている割りになんかうさんくせぇなあって思っている人は多いと思います。曰く「世界がこのようにあるのは全ておれたち人間のおかげ」なんていうんですから。人間そのものが説明のための「お話」にされてしまったわけです。人間の妖怪化です。しかも物理定数を自分たちに都合よく設定する程度の能力をもっていますから、相当の大妖怪ですよ。いいのかこんな厨設定で。

*1:もちろん個人的には塵理論は哲学と言ってしまっていいレベルだと評価していますが「お話」としての強度はまた別です。同じ「お話」でもロジック皆無の神話や宗教や与太話のほうが認知度や顧客満足度が高かったりします。