宇宙消失 / グレッグ・イーガン

グレッグ・イーガンの長編で一番とっつきやすい。小林泰三「酔歩する男」のような量子力学的ホラーと、ウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」のような近未来テクノロジーを併せ持つ傑作。
シュレディンガーの猫」ってありますよね。「毒ガスが半々の確率で発生する箱の中の猫は、生きているか死んでいるかわからない、開けた瞬間に猫の生死が決定されるんだ」というやつです。でもこれって、考えてみれば変な話です。開けた瞬間に他のあらゆる可能性が「なかったこと」になり、目の前にある事実だけが唯一の現実となるというのです。じゃあ人間が観測するまでは、すべての可能性が「在りうる」のか? 現実をひとつに決定すると言えば聞こえはいいが、それは他のあらゆる可能性を皆殺しにすることではないか? 
ストーリーのほうは、太陽系を取り囲む膜(バブル)が形成され、夜空から星が突然消えてしまうという事件が起きる。このバブルを作ったのは誰か? バブルの向こう側では本当に宇宙が消えてしまったのか? というものです。ぶっちゃけ「宇宙消失」という邦題はカッコいいんですが合ってません。荘厳なクラシックが聞こえてきそうなイメージですが、頭に思い浮かんだのはThe White Stripes「The Hardest Button To Button」
以下ネタバレ。


究極の自己啓発:モッド

まずモッドという人格を変えるテクノロジーが出てきます。たとえば警官用のモッドは、恐怖を感じない平静心・危険をものともしない勇気を与えてくれます。現在の人間は意志の力や、報酬、薬物などで自分をコントロールしています。それなら、脳神経の結線をそのように固定しちゃったほうが早いんじゃね? そうとしか考えられないように、そのようにしか行動できないように、意識の総司令部である脳をいじったほうが早いんじゃね? というわけで開発されたのがモッドです。
なんともマッドサイエンティスト好みの装置ですが、洗脳なんかに悪用されたらどうするんでしょう。と思ってたら、主人公はあっさりこのモッドを利用されて洗脳されます。組織(《アンサンブル》という名前です)に絶対服従を強制される忠誠モッドを頭に組み込まれた主人公は、「おれにとって一番大事なものは《アンサンブル》だ」と簡単に敵側に寝返えってしまいます。
ふつう漫画などで味方を裏切るキャラは、正義の心が悪のパワーに打ち勝つ・洗脳装置を取り外すなどして、洗脳を解くわけですが、本書ではその心自体が改変されているわけです。ぶっちゃけ、どうしようもありません。一体この後どうやって洗脳を解くんだろうか、あるいはずっと洗脳されっぱなしなのか、かなりハラハラしました。ここでイーガンは論理のアクロバットを見せてくれます。
「おれにとって一番大事なものは《アンサンブル》だ。だから《アンサンブル》に忠誠を尽くす」

「おれにとって一番大事なものは全て《アンサンブル》だ。だからおれは自分にとって一番大事なもののために行動する。たとえ組織としての《アンサンブル》と敵対しても、それは偽りの《アンサンブル》だ。自分にとって一番大事なものこそ、本当の《アンサンブル》なのだから」
うわー! すっげーよアンタ! その手があったか! 《アンサンブル》を拡大解釈することで、見事に論理パズルを解き、洗脳から解放されたのです。このルールの抜け道を利用する展開は、JOJOのスタンドバトルを思い出しました。

確率操作で誰でもラッキーマン

さて、ここからは量子力学ネタについて解説します。まずコペンハーゲン解釈を前提にして議論します。
これはシュレディンガーの猫」は箱を開けた瞬間、生死が決定するという考え方です。それまでは無限の可能性があったけど、人間が箱を開けて観測した瞬間に、波動関数は収縮し、多世界はひとつの現実(固有状態)へと収束した、と。未来には無限の分かれ道があるけど、人間はそのひとつの道を選んで生きているのだ、というわけです。
しかしこの分岐の選択は通常ランダムです。「シュレディンガーの猫」が箱を開けた瞬間生きているか死んでいるかは、通常五分五分の確率なのです。では、この確率をほんのちょっと変えることはできないだろうか。確率を操作することで、自分に都合のいい未来を選択できるようにはならないだろうか。これがモッド《アンサンブル》。固有状態を自由に操作できる装置です。
さてこの能力を使えば、どんな確率の低いこともできるようになります。壁を通り抜けるなんてこともできますし、複雑な暗号も一発で解けるようになります。ミクロの世界ではトンネル効果という、通常起こりえない奇跡が起きます。しかし日常の世界・マクロの世界では起こりません。でもこのモッド《アンサンブル》を使えば、そのトンネル効果をマクロの世界でも自由に起こせるわけです。その結果この小説は「とっても!ラッキーマン」を彷彿とさせる、ご都合主義のバーゲンセールとなります。

本当にご都合主義なのか

この能力のおかげで、主人公はありとあらゆる可能性・多世界にまたがる在りえたかもしれない自分を、自由に選択できます。つまり都合のいい世界だけを選び(波動関数を収縮し)、都合の悪い世界を選ばないのです。都合のいい自分だけが未来を勝ち取り、他の十億の「在りえたかもしれない自分」を皆殺しにするのです。
スーパーマリオブラザーズでは、どんなにクリボーに殺されようとも、最後には必ずクッパを倒せるようにできています。スターを取って無敵状態になるプレイもあるでしょうし、取り損ねて穴に落ちて死ぬプレイもあるでしょう。しかしラスボスまでたどり着くプレイは確実に存在します。何度殺されようが、それを「なかったこと」にして、一番都合よく進んだ世界をプレイすればよいのです。
一見この最もラッキーな自分を選択できる能力は羨ましいですが、それは他のありとあらゆる自分を「なかったこと」にして正史から抹消する行為でもあります。消される側からすれば、ひどく残虐な行いです。「え? おれ「なかったこと」にされるわけ? ちょ、ちょい待って! それはいくらなんでも残酷だろ!」。しかし消す側も消される側も、どっちも「自分」なのですから、一概にご都合主義だとも残酷だとも言い切れません。

バブルメイカーは誰か

結局バブルメイカーの正体は、多世界にまたがって存在する生命体だとされます。その手先がローラだというのです。人間は発散した波動関数を観測により収縮させます。バームクーヘンのように多層的な世界を、薄皮一枚のレベルにまで絞ってしまう、多世界破壊者なのです。バームクーヘンの一枚だけを現実として生きる人間にとってはそれでいいかもしれませんが、困るのは多数のバームクーヘンにまたがって存在するバブルメイカーです。彼らにとっては人間の一挙一動(夜空を眺めたり、箱のふたを開けたり)が、自分たちの身を切り裂くナイフなのです。多元的・多層的な自分たちを1枚のペラペラの紙へと圧縮してしまうロードローラーなのです。
また、バブルメイカーはそもそも異星人ではないのかもしれません。作中で、なぜ人類はひとつの現実しか認識できないのか・多世界にまたがる意識だってあってもいいじゃないか、みたいなことが言及されます。バブルメイカー(の一部)は、この多世界にまたがる人類の意識の集合体なのだというのです。人間が脳細胞内の1個のニューロンだとしたら、バブルメイカーは多数のニューロンの組み合わせとして存在する意識体です。ちなみに私は夜空の月や星が二重三重に見えることがあるので、多世界観測者の素質があるのかもしれません。*1
バブルメイカーは、バブルに取り囲まれた時空領域について多世界にまたがる大きな風船のようなものだと説明します。宝くじの抽選結果を確認するとき、人間は期待を膨らませます。このとき、波動関数は拡散し、風船も膨らみます。そして実際に結果を確認(観測)したとき、期待はしょぼんとしぼみます。波動関数は収縮し、風船もしぼみます。
モッド《アンサンブル》は波動関数を拡散させたままにするので、期待は膨らみ、風船も膨らみます。それも際限なく。ついには許容量をオーバーし風船は破れます。そのとき期待は二度としぼむことはなくなり、波動関数も二度と収縮しません。ありとあらゆる夢・可能性が顕在化するのです。*2

多世界を収束させるのは誰か

もう一度、シュレディンガーの猫の話に戻りましょう。要するにコレはシュレディンガーの猫が、箱の中で自分の生死を観測できるとしたらどうなのか? あまつさえ、都合のいい自分・世界の状態を自由に選べるとしたらどうなのか? という話です。

毒ガスが出る:自分にとっては都合が悪いので「なかったこと」にする
毒ガスが出ない:自分にとっては都合がいいので、このケースを現実にする

猫ががんばって他のありとあらゆる自分を「なかったこと」にして唯一の自分を確定させます。しかし、そのことを観測する外部の人間がいたらどうでしょう? 猫のありとあらゆる行動も、結局人間がそう観測したから、そうなったのかもしれません。猫は自分の自由意志を信じていますが、結局人間が「自由意志を信じる猫」を観測しただけなのかもしれません。では、その「自由意志を信じる人間」を観測するのは誰でしょう? その人間のありとあらゆる可能性を収束させるのは誰でしょう? 他の人間かもしれません。
つまり人間は自分の自由意志をもって未来を選択していると見せかけて、そのような信仰をもつように他者から観測されているだけかもしれないのです。人間原理は、人間の存在こそが宇宙を決定付けるという自己中心的な考えですが、本書で提示されているのはその人間原理の矛盾です。同じ人間原理を持つ同士が、お互いを観測するのなら、一体どちらの観測が「事実」を決定付けるのでしょうか? 彼が本当に自由意志で持って行動しているのか、自由意志を持っていると信仰しているだけなのかは、誰にもわかりません。
主人公の波動関数を収縮させたのは、バブルメイカー(未来の人間=波動関数が拡散したままお互いにリンクした人類の集合体)だとされます。

「地球全体、拡散中の全人類――」
「それは存在していなかった……いまもまだ存在していないんだぞ。いまでさえ、まだ地球全体は――」
「拡散してないわ。でも、やがて存在するようになったら、あるいは存在する可能性があるなら、拡散中の人類は自分の過去を選択できるわけでしょう? ひとりの拡散中の人間に何ができるかを考えてみて――それなら、百二十億人の拡散中の人間の集合体には、時間をトンネル抜けして、やがて自分が出現するように手を打つことだってできるとは思わない? 集合体はそのために、ベクターが広まるのを防いだバージョンのあなたを、ほかのだれとも相関させずに収縮させたのでしょう」

あるいはそんなバブルメイカーも、時間的無限大にいる究極観測者がそう観測したから生まれたのかもしれません。

日常こそがご都合主義

「ビットからイット」理論でも説明しましたが、宇宙がこのようにあり、地球という惑星が存在し、人間のような知的生命体が誕生したというこの事実はまぎれもない奇跡です。そんなご都合主義、いまどき小学生でも考えねーよっていうぐらいに奇跡です。モッド《アンサンブル》なんて使わずとも、私たちは常日頃からこの奇跡の恩恵を授かっています。
たとえば、重力がなくては私たちは生きていけませんが、ではなぜ重力なんてものがこの世にあるんでしょうか? いや、そもそも重力などというような確かなものはこの世にありません。そこには、有史以来の百億の「リンゴが木から落ちた」という観測結果があるだけです。その観測結果から帰納法的に、こういう理論法則があるんじゃないかと科学者連中が勝手に考えているだけです。明日も「リンゴは木から落ちる」かどうかなんて誰にもわかりません。帰納は、あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まります。(その蓋然性がある一定以上に達した場合、それは常識や真理と呼ばれるようになりますが。)
しかし、おそらく明日も「リンゴは木から落ちる」でしょう。それは、木から離れたリンゴが地面へと向かっていく、その一瞬一瞬を私たちが観測しているからです。世界が今どうなっているのか・これからどうなっていくのかなんて、決まっていることは何ひとつありません。「こうあるべきだ」という理由ならいくらでも作ることはできますが、世界がその理由どおりにこれからも動いていくかは誰にもわかりません。あるのは事実だけです。その事実を一瞬一瞬確定しているのは私たちです。次にどうなるかなんて誰にもわからない一瞬を、そこにルールもへったくれもない無明の世界を、今までと同じ日常が続くように確定しているのは私たちです。
モッド《アンサンブル》なんて使わずとも、私たちは確率を操作することで、次の百億の「リンゴが木から落ちた」という結果を観測するのです。人間に都合よくできているこの物理定数の数々、自然の諸法則がこれからも適応され続けるなんて、相当なご都合主義じゃないですか。どこにでもあるふつうの日常を生きることができる、それだけで十分すぎるほどに奇跡じゃないですか。
ラストでは都市中にモッド《アンサンブル》が蔓延し、ありとあらゆる可能性が現実にあふれ出します。夢や空想が現実に染み出し、悪夢も奇跡もごちゃまぜとなり、都市は壊滅します。しかし、なぜこの災害はそこで終息したのでしょう? 災害が終わる世界を確率操作により観測し、数ある多世界を日常へと収束させたのは誰でしょう? 
日常という奇跡を望んだ、人間たちです。

あらゆる夢、あらゆる幻。その中には、この世界も含まれている。無限の幸福と無限の不幸のはざまにあって、なんの変哲もないように感じられる世界。

この本を読み終わった後、その平凡な日常がいつもと違ったように感じられました。SFを読んでいてよかった、と心の中でガッツポーズをしました。

補足:多世界解釈だとこうなる

以上の議論は、波動関数は収縮するというコペンハーゲン解釈ならではの話です。波動関数は収縮しないと考える多世界解釈では全く違う話になります(参照:運命はクソゲー!?― 猫でもわかる多世界解釈 - 誰が得するんだよこの書評)。多世界解釈では、起こりうる全ての可能性がそのまま現実になると考えます。無限の可能性の数だけ並行世界があると考えるのです。この考えでは、「シュレディンガーの猫」は生きている状態と死んでいる状態、どっちもそのまま起こりえます。ただし両者の世界は分岐したままお互いに干渉しなくなるので、その世界に生きる人間にとっては自分の世界こそが唯一の現実となります。
さて、本書の主人公は都合のいい世界だけを選び、他のありとあらゆる可能性を「なかったこと」にしましたが、多世界解釈ではこの「なかったこと」もそのまま現実なのです。ある世界の自分によって、「なかったこと」にされた自分にも、同じように続く世界が待っているのです。
つまりこの物語は、無限の平行世界の一本の分岐をたどる話なのです(ところどころ支流をいったりきたりしますが)。現実離れした展開ですが、でもこれは起こりうる話です。世界チャンピオンのスーパーマリオブラザーズのプレイがどんなに神業でも、しょせん人間業です。同じように本書も、無限の平行世界を考えると必然的にも起こりうる人間業です。

*1:乱視なだけです。

*2:しかしこの説明じゃ人類が生まれる前の宇宙=波動関数を収縮させ、多世界を収束させる存在がいない宇宙では、ありとあらゆる夢・可能性があったということになってしまう。そんな世界から人類が生まれたということは、風船がパンクした後もまた波動関数が収縮する可能性もあるんじゃないかと思う。よくわからん。