人間・この劇的なるもの / 福田恆存

えーどうも久しぶりです。この本はゼミの課題図書として読んだんで、普段のレビュースタイルとは打って変わっておかたい要約だけにとどめます。だからつまんないと思うんで時間ない人は飛ばしちゃってください。




現実がありのままに映っていない空想家の眼にのみ、現実はしばしば薔薇色に輝く。かれらは現実に媚び、現実に媚びられなれあいの生涯を送る。ことばを綿密に選択するならば、空想家とは理想主義者のことである。が、理想家のことではない。理想家は同時に現実家である。(中略)かれは理想と現実との永遠に一致しないことを知っている。かれにとって、現実に転化しないからこそ、理想は信じるにたるものであり、理想に昇華しないからこそ、その生きにくい現実は、いつまでも頼りになるものである。

人間の意識の中の劇的な部分、もっといっちゃうと夢見がちな部分を理想と呼びます。その理想に対していろんなスタンスがあり、いろんな意見があるでしょう。その中でもこの著者の理想観はなかなかに説得力があります。

この本の前半部分(1〜4章)では、自由と宿命の対立について、シェイクスピアハムレットを引用しながら論じられています。つまり、人間は自由を欲しているというが、それは建前であり、本音では宿命を求めているというのです。宿命とは、必然性のある運命と言い換えてもいいのですが、要するにそう生きることが必然的であり、そうした確固とした生き方に自分の生を当てはめることこそが、生きがいだというのです。その充足感のある瞬間を無くしては、人生はつまらないものになってしまい、たとえそこに「自由」という価値があったとしても、人々は決して納得しない、というわけです。

次に後半部分(5〜8章)について論じましょう。人間の劇的なものを追い求める性質が、いかにイデオロギーや文学や演劇に影響を与えているか、ということを深く掘り下げています。個別に見ていきましょう。
5章:自由主義は奴隷の価値観である。奴隷は孤独であるか、特権階級への昇格を求めるかの2つである。自由主義者も孤独であるか、特権階級への昇格を求めるかの2つである。自由主義者は際限なく権力の階段を昇ろうとするから、その先にあるのは信頼感の失われた荒涼とした社会である。
6章:個人主義全体主義も、個人を支配しうるという点では同じである。しかし、「全体」とはそもそも個人には把握できないものである。
7章:生を善、死を悪だと割り切る思想は短絡的である。死は何人も避けられないイベントであるから、その死をも取り入れた思想こそが、真に個人の人生に充足感をもたらすことになる。
8章:個人と全体の関係、生と死の関係、演劇の本質と人間の本質の共通点などをまとめている。

私たちは、滅びながら、眼のまえに、自分を棄てて生きのびる全体の勝利を見ようとする。それを見て喜ぼうとする。この本能は、おそらく劇場の美学の根本原理をなすものであろう。


個人は自由よりも宿命を求めており、その宿命(個人がある一定の形式で生きるべき必然性)を与えてくれる全体の価値を尊重しよう。そして、個人は死ぬが全体は個人の死に関わらず生きのびることができる。
だから個人の死を乗り越えて全体が生きのびる悲劇を、人は望んでいる。

総括。人間とは自由よりも宿命を求める演劇的な性質がある。そしてとくに、個人の死を乗り越える全体というものに魅かれる傾向がある。シェイクスピアの悲劇(ハムレットなど)はその条件を満たしており、人を感動させる。