カオスの紡ぐ夢の中で / 金子邦彦

隠れた名著。複雑系の研究者・金子邦彦の科学エッセイ+SF。非常に刺激的な本です。とくに円城塔ファンにはたまりません。



複雑系へのカオス的遍歴

著者は「科学は文化」であると言います。

世界の多様な状態をすべて受け取って情報処理することは有限の我々が有限時間で行うことは当然無理だから、何らかの偏見を持って世界を捉えることになる。これが広い意味でモデルを持って世界を見るということになる。


要するに科学は真理発見競争でもなければ、新物質発見競争でもないのです。新しいものの見方・視点・世界観、そういうモデルを提供するものだ、というわけです。そういう意味では科学は芸術であり、創作であり、文化です。
では複雑系とは一体どんな文化なんでしょうか。そもそも複雑って一体どんなことなんでしょうか。たとえば、123123123123123123123123123123……というデータなら複雑とは言えません。単調な繰り返しがあるとはっきり分かるからです。しかし、124339483279483294283749832693218479384726983740298423498……ならどうでしょう。一見ランダムな数列が並ぶ複雑なデータが見えます。しかし絶対に規則がないとは言い切れません。私たち人間が見落としている規則があるかもしれないのです。

実際、あるデータがデタラメであるかという問いは、数学的な意味で決定不可能になってしまうのである。これは予想されることだ。絶対に規則がないと言いきるのは、無限の知性を持った仮想的存在でも考えない限り無理に決まっているからだ。
ここで立場は二つに分かれる。そういう仮想的な存在を背後に感じつつ、数理的な定式化を行い、その後でその影として現実の系についても何かを言おうとする立場。もう一つは、そのような無限の知性はないのだから、むしろ有限の知性を持った主体が規則を考え出していく過程を念頭において複雑さを理解しようという立場。

著者は後者の立場です。無限に複雑な世界のある側面を切り取って、何らかの世界観・視点を見出すのです。それが有用なものなら真理と呼んでしまってもいいかもしれません。*1

カオス出門

この世からカオスがなくなったらどうなるのか、というSF。ドタバタとしても面白い。

小説 進物史観

自動物語生成システムの進化をめぐるSF。最初はごく短い文章をネットにアップして、読者の「面白い」「面白くない」という評価を取り入れてどんどん物語を進化させるというストーリー。社会が物語とどうフィードバックするのか、物語同士が適者生存の理論により進化していくとしたら究極の物語とはどんなものになるのか、という今まで全く味わったことのないセンス・オブ・ワンダーがありました。円城塔という自動物語生成システムが出てくるんですが、このシステムの作風は現実のSF作家円城塔そっくりで吹きました。円城塔が元ネタを正確にトレースしているというわけではないんですが、目指すべき方向性は驚くほど一致しています。こっちは円城塔よりも分かりやすい。

バーチャル・インタビュー

この本全体を自己言及するエッセイ。複雑系がなにをやりたいのかについておぼろげながらわかってきました。円城塔がインタビューで語っていたように「ルールのルールの階層」を探索する学問なんだと思います。たとえば万物理論が構築されても、それは物理学のルールが完成されるだけで、化学も生物学も全て説明できるということはありません。物理学のルールが、化学にどんな影響を及ぼすのか、化学のルールが生物学にどんな影響を及ぼすのか。その関係は1体1のシンプルなものではなく、多対多の複雑な関係です。ルールとルールがどう相互作用するのか、ルールとルールの関係を決めるルールはどんなものか、そういうことを研究するのが複雑系なんだと思います。実用性に乏しい研究に思えますが(そして実際に著者も「実用性なんかなくたっていい。だって文化なんだから」と茶化して言っていますが)、たとえば生命誕生のメカニズム解明に役立ちます。ただ理解を超えるところも多かったので、これであっているのかどうかイマイチ自信がありません。


余談。この本は現在絶版で入手が困難です。古本屋にも売っていないし、amazonマーケットプレイスでかろうじて見つけたんですが定価の2倍というぼったくりプライスでした。図書館で検索しても見つからず、意を決してリクエストしてみたんです。絶版だからどうせ無理だろうなと思いつつも、だめもとで言ってみました。
司書「じゃあ他の自治体から取り寄せますんで」
他の自治体、そういうのもあるのか……! 正直、図書館のネットワークを見くびっていました。図書館マジかっけー! もう我が家では図書館に足を向けて寝るなんてことは許されない!

追記。このたび新版が出たようです。

*1:なにをもって「有用」だとするかは、その人のおかれた立場や価値観によって異なるので、このプラグマティズムを許せば無数の真理を容認することになります。その真理の姿はあまりにも主観的で恣意的なものなので、客観的・イデア的とされる真理のイメージとは程遠く、なんとなく違和感があります。