重力ピエロ / 伊坂幸太郎

弟が、母親がレイプされたときに身ごもった子であるというヘヴィな家庭環境。そうした暗くなりがちな設定を通して、家族はどのように生きていくのか・家族愛とは何なのかというテーマに挑んだ作品。
テーマの重さとは裏腹に、軽いノリで話がすいすいと進むので読みやすい。でもそれは人間の苦悩を描いていないというよりも、その苦悩を乗り越えた先にある生き様を描いているからでしょう。実際どんな悲劇のあとにも(死ぬのは別として)、人生はネバーエンディングに続いていくわけですし、その長ーい人生をずっと悲劇にひたって生きていくというのは現実的じゃありません。つらいつらいと言いながら死ぬまで愚痴ってるよりも、いっそ軽薄に生きていったほうがいいじゃないか。そういう飄々とした潔さを感じました。

ただ不満もあります。伊坂幸太郎の作品全部にいえると思うんですが、リアル性を現実のちょっと下のレベルに設定してあるんです。現実のリアル性を100、SF・ファンタジーなどド直球のエンタメのリアル性を50とするなら、伊坂幸太郎のリアル性は83です。リアルな小説として読むと、浮世離れした登場人物たちが鼻につきますし、完全なフィクションとして読むと淡白すぎて味気ない。まさに帯に短したすきに長し。
たとえるなら300円ぐらいのカップラーメンです。たしかに100円のカップラーメンよりは美味いけど、でもどうせならちゃんとした店で600円のラーメンを食べたほうがお得なんじゃないかという、購入に勇気が要る商品です。
もう少し正確に言うと、塩ラーメンが好きなのに味噌ラーメンしか売っておらず、じゃあどうせなら一番安いの買おうかと思ってたら、300円のしか売っていない、という状況です。塩ラーメンならまだしも、味噌でこの値段かよ、マジありえねー、という感じ。って、わかる人いるんだろうか。どうせ雰囲気は合わないんだから、せめてスカッとしたエンタメかド直球リアル路線を楽しみたいのに、そのどちらも中途半端というこの台無し感。
―――というのは全部嘘です。ここまで書いといてそれかよ! と怒らないでください。自分でも書いているうちはそう思っていたのです。しかしどう考えても、リアリティの面で伊坂幸太郎と同程度の本はたくさんありますし、その中にも数多くの名作があります。
冷静に考えてみると、やっぱりギャグが微妙っていうのが一番の理由だと思います。致命的にギャグのセンスが合いません。くだらない理由であるがゆえに、それを意識することができず、かえって「中途半端なリアリティ」という的外れな批判を捏造してしまいました。たかがギャグ。されどギャグ。筒井康隆舞城王太郎町田康あたりの笑いのセンスがあれば自分的にも良作になったと思うんですよ。