スカイ・クロラ / 森博嗣

ビジネスとして行われる戦争に従軍する戦闘機パイロットの空虚な日常を描いた作品。三崎亜記「となり町戦争」とちょっと似てます。 映画化記念ということでレビューします。まあ、映画は見てないんですけどね。
正直「またか……」という印象です。また村上春樹のようなナルシストの抽象的作文を読まされるのか、と。こういう系統の作品に出会うたび、私はいつも憂鬱な気持ちでドラクエ3のラスボス・ゾーマ最期のセリフを思い出します。

勇者よ……。よくぞわしを倒した。
だが光あるかぎり 闇もまたある……。
わしには見えるのだ。ふたたび何者かが闇から現れよう……。
だがそのときは お前は年老いて生きてはいまい。
わははは………っ。ぐふっ!

そこに文学があるかぎり第二第三の村上春樹が現れるのでしょう。つーかゾーマ村上春樹)死んでないしな。まだまだ現役です。もうこの勢いは止められないぜ! と言わんばかり。土石流のようなこの一大ムーブメントを前にして、私はいつも無力感を感じます。
特に理解に苦しむのはこの作品が哲学的という評価を得ていることです。哲学って。神林長平「戦闘妖精・雪風(改)」ならまだしもコレで哲学っすか。どうみても寝言ですよ。それとも、もともと哲学とは寝言のようなものだという皮肉が込められているんでしょうか。哲学(笑)みたいな。あるいはニーチェがカント哲学を批判した時みたいに「これぞ哲学だなんて騒いでるけど、どうでもいいテーマを抽象的な詭弁で誤魔化してるだけじゃん。はっきり言って何も新しいこと言ってねーよ!」というような、なかばネタ扱いして「哲学」だと言ってるんだろうか。*1 だとしたらすっげー高等テクニック。
過剰な攻撃は恐怖の裏返しです。これだけ批判するってことは本当は怖いんです。ふにゃふにゃした虚無的な作品(としか思えないもの)が「哲学だ」「深い」「生と死についての答えがある」などと口々に絶賛されるのを見て、自分がなにか間違っているのではないか、どこか致命的な見落としをしているのではないか、という焦燥感に駆られるのです。みんなホントはよくわかんなかったけど、なんとなく「深い」と言っておけばいいやって思ってるんだろ? とりあえず「難解だけど僕はちゃんと理解できましたよ。ふふん」って頭の良さをアピールしてるだけだろ?

私が蒙昧なもの・ディティールを端折ったものを憎悪するのは、それが後出しじゃんけんに匹敵するクソゲーだからです。そりゃあ、どうとでも深読みできるような詩文のほうがクリエイターにとっては楽ちんです。あとは批評家気取りにまかせておけば勝手に分析してくれて「哲学」をでっち上げてもらえます。そしたら後はしたり顔で「そうそう、まさにそれが言いたかったんだよ!」とでもいっておけば万事OKです。なにこのクソゲー
そこには「アンパンマンほど哲学的なアニメはない」で示したような滑稽さがあります。ギャグとして自覚的にやるならまだしも、本気でやってるとしたらそれは知性の無駄づかいです。*2
まあ趣味の違いで済ましちゃってもいいんですけどね。私が大好きな筒井康隆も客観的に見て優れた作品はそんなにないし、大部分があの文体とギャグに魅かれているだけです。だから合わない人がいても全然不思議ではありません。同じように私もたまたま森博嗣は合わなかった、それだけのことです。というか哲学的だっていう部分に過敏に反応しているだけなんで、美学的な視点で語るのであればなんら異存はありません。「美学 ver.森博嗣」という名の価値観が私にインストールされていないだけですから。

*1:ニーチェ善悪の彼岸」第一章第十一節。

*2:私もよくやるのでこれは自戒をこめて言っています。ほとんど同属嫌悪。